クリエイターインタビュー:ゲームプロデューサー 石川雅生 (いしかわ まさお)さん

お話を聞いた人→ゲームプロデューサー 石川雅生 (いしかわ まさお)さん

 いまや携帯電話で遊べるゲームも、テレビゲーム同様、見逃せないジャンルになってきています。石川雅生さんは現在、そんな業界でプロデューサーという立場でゲーム開発に日夜励まれている方。もともとはアーケードゲームやテレビゲームの開発現場で活躍されていたという石川さんが携帯電話ゲームの開発の世界へ足を踏み入れた理由とは? ゲーム業界のさまざまな現場を知る石川さんのお話は為になること、絶対間違いなし!!

クリエイターの生い立ちや趣味趣向を知れば、アイデアや発想のヒミツがわかっちゃうかも…!? ゲーム業界の第一線で活躍する敏腕クリエイターに、その華麗なる生き様について突撃取材。未来のクリエイター必見のインタビュー集。4月はゲームプロデューサー石川雅生さん。

第1回 ゲームプログラミングにとことん熱中する!!

――どれぐらいの頃から記憶ってありますか?

石川雅生氏(以下石川、敬称略):小学生ぐらいの頃かな。小学校の頃はメカニックエンジニアになろうと思ってたんですよ。理科系の方が好きで。3、4年生の頃から半田ごて持って、ラジオのキットとか組み立ててました。

――そういうキットはいろいろ出てましたね、ボクも作りました。

石川:そんな頃、いとこが経営していた喫茶店に当時ブームだった『インベーダー』ゲーム(※1)のテーブル筐体が入ってきたんですよ。その『インベーダー』をやった時になんかビビっときました。「ビデオゲームって、おもしろい」って。ボクは遊ぶのも好きだったんですが、もともとエンジニアっぽいところもあり、これ、どうやって作ってるんだろうなって興味もあって。でも、その頃はまだパソコンや、マイコンと呼ばれるものが、世にそれほど浸透している時代でもなく、一般の家庭にはあまり無かったんです。高価でしたしね。そういったものの代わりに、ラジオ制作の雑誌の付録にあった、カセットテープのケースにボタンや基板とかを組み込んで、簡単なLEDのゲームを作るといったものにいったん没頭しましたね。電子ゲームがどんな仕組みでできているのか興味があって…。本格的にビデオゲームを作りたいなぁっと思ったのが中学生時代。

――ゲームに興味を持ったきっかけが機械(ハード)というのは珍しいですね。

石川:最初は機械だったんですけど、ビデオゲームを触り始めてからはハードウェアよりもソフトウェアの方が楽しくなってきましたね。中学の時に親に頼み込んで、パソコンを買ってもらいました。ちょうどその頃は第一次マイコンブームだったのかな。周りの友だちも買いはじめ、情報交換したり。周りと違う機体を買ってて、オレはX1(※2)だ、オレはMZ(※3)だって。その頃はベーシックでプログラムを組んでましたね。

――雑誌に掲載されているプログラムの打ち込みを兄貴によくさせられてましたよ(笑)。

石川:(笑)。ボクも電波新聞社の「ベーシックマガジン」(※4)にはお世話になったタイプです。最初は右も左もわからなくて、ずっと打ち込みをやって、徐々にここを改造したら、こうなるんじゃないかって予測しているうちに、プログラムがだんだんわかってきて。ゲームセンターにあるゲームを作ってみようというところから、自分でプログラミングをするようになりました。『ゼビウス』(※5)モドキとか作ってましたよ(笑)。

――少しお話し戻りますが、エンジニアになりたい根本的なきっかけというのは?

石川:やっぱり子供なんで、アニメの影響って大きかったと思います。その当時は「宇宙戦艦ヤマト」(※6)等が子供番組としてあって、そこにあった未来世界に惹かれてたのかな。それに少しでも近づけるようなものを作ってみたいという、子供ながらの夢があったんでしょうね。あとはもともと理系の方にはかなり興味がありました。天体や電気工学が妙に好きな子供で、カール・セーガン博士の宇宙や物理についての解説本のコスモス(※7)とかをよく読んでましたね。

――理科はお得意でしたか?

石川:得意でしたね(笑)、子供の頃は。高校になると全然ダメでした。物理とかで高度な数式がでてくると、難しくなってきちゃって…。知的好奇心を満たすための勉強から試験のための勉強に変った時点でダメになりました(汗)。

――パソコンを手に入れるまでの経緯をもう少し詳しく聞かせてください!!

石川:『インベーダー』がどうやって動いているのかがわからないわけですよ。基板を見てみても難しい回路を組まないとできないらしい、ということしかわからなくて。ソフトウェアという概念がその頃のボクにはなかった。そんな時に友だちの家に行ったらPET2001(※8)という古いパソコンで『インベーダー』モドキが動いていて、「こういうので動いてるんだよ」って、ベーシックで書かれたコードを見せてくれたんです。これを組めば、回路を組まなくてもできるのって話になって、「別にハンダゴテとか持たなくても、ICチップを買わなくても、ゲームが作れる」という事実に感動しまして。これはなんとしてもパソコンを手に入れねばと、貯金を始めました。お昼ごはん代をもらっても、何も買わず昼食を抜くようになりまして。両親がそれを見かねて、買い与えてくれましたね(笑)。で、そこからのめりこみましたね。

――ちなみに買ってもらったという本体は何という機体で?

石川:MZ-700(※9)という機体です。シャープが初めて出した廉価版機で、専用のモニターがなくても、普通のテレビに出力できるんですよ。テレビを占有して、ずっとプログラムを書いてましたね。その頃からゲーム機とパソコンと、どっちつかずの機体が発売されてきて、ぴゅう太(※10)を買ってる友人もいましたね。

――ファミコンとかで遊ばれたことは?

石川:その当時はまったく無かったです! アンチファミコン。

――家庭用ゲーム機は否定派と?

石川:パソコンから入った人に多いらしいんですが、ボクは社会人になるまでファミコンは触ってません。まず『ドラクエ』(※11)のうたい文句があまり好きじゃなかった。「これが日本初のロールプレイングゲームだ」的なキャッチフレーズでしたが、同じようなシステムのゲームはパソコンでは既に沢山出てたんですよ。ボクらから言わせれば、『夢幻の心臓』(※12)じゃないのかな、と(笑)。まぁそんな感じで、アンチファミコンを社会人まで貫き、コンシューマーに興味を持ち始めたのは、PCエンジンが出た頃かなぁ。もうポリシーに近い感じがありまして。でも、社会人になってからもバカな話がありました・・・。『ストリートファイター2』(※13)がどうしてもやりたくなり、ポリシーを返上しスーパーファミコンを買いに行ったんですよ。そしたら、店頭でX68000(※14)の『スト2』が近日発売って書いてあって。スーパーファミコンを買いに行ったのに、ローンを組んでX68000を買ってしまいました(笑)。

――(笑)。もうそれぐらいパソコン派だと!

石川:今では違いますけど、社会人になって少し経つまではそんな感じでしたね。

――高校生時代もずっとパソコンにどっぷりで?

石川:そうですね。高校の時にいろんな部活を掛け持ちしてたんですけど、その時は情報処理部といったパソコン関係の部活がなくて。ボクが通ってた高校は商業科もあるマンモス校で、当時としては珍しくコンピュータールームがあり、そこには98(※15)が沢山あって、ヨダレものでしたね。商業科の生徒がワープロいじるだけに使うなんてもったいないって思っていて。その頃、コンピューターに興味を持つ人間が増え始めていたので、同志を募りました。愛好会の初代の会長になり、放課後はそのマシンを使わせて欲しいと、提案しましたね。

――活動で何か作られたりも?

石川:文化祭の時にゲームを作りました。他はコンピューターの講座も開きました。ただ初年度は98は触らせてもらえなくて、旧世代のパソコンをいじってましたね。その地道な活動が認められて、ようやく98が解禁になりました。

――どんなゲームを作られてたんですか?

石川:まだパクリメインでしたね。『1942』(※16)のパクリとか。

――じゃ、ゲームセンターにも行かれてたわけですね。

石川:校則で禁止でも行ってましたね(笑)。中間テスト前にもゲームセンターに通ってました。先生に将来どうするんだって言われて、「ゲームプログラマーになるからいいんだ」って(笑)。

――世代的に話が通じなかったんじゃないですか?

石川:通じませんでしたね。そんなどうなるかわからない商売につくなんて、と親が呼ばれました(笑)。大学行って、普通の就職した方がいいですよって。でも、ガンとはねて。親の方は理解があったので、それは救いでしたね。本人が希望してるんだからって。

――親御さんはパソコンに熱中することに対しては温かい目で?

石川:そうですね。ただ動向が浮き沈みの激しい業界ではありますから。弟がいるんですけど、宮路兄弟(※17)のように兄弟揃って、ゲーム業界なんですよ。そこは不安視してますよね。業界がつぶれると、二人とも沈んでしまうので。弟の方はゲームプログラマーです。

【第2回(4/9更新)に続く】

【編集部注釈】

※1 インベーダーブーム……タイトーがアーケードで発表した『スペースインベーダー』が爆発的な人気になった時期のこと。発売された1978年から1979年頃をさす。

(C)TAITO CORP.1978-2005

※2 「X1」……シャープが発売したパソコン。1号機は1982年11月発売。

※3 「MZ」……シャープが1970年代から1980年代に発売したパソコン。X1と同じシャープ発売だが、開発部門がそれぞれ異なる。

※4 「ベーシックマガジン」……正式名称は「マイコンBASICマガジン」。電波新聞社が1982年から2003年まで発売していたパソコン雑誌。ベーマガと略す場合も。プログラムの募集をしており、採用されたプログラムは掲載され、多くのユーザーがそれを打ち込み、ゲームを遊んだりしていた。

※5 『ゼビウス』……ナムコが1983年にアーケードで発表した、名作と名高い縦スクロールシューティングゲーム。1000万点を目指すなど、当時のゲームファンを熱狂させた。遠藤雅伸氏が手掛けたゲームとしても有名。現在でもXbox LIVEアーケードなどで遊ぶことができる。

※6 「宇宙戦艦ヤマト」……松本零士氏原作のアニメ。テレビだけでなく、劇場公開されるなどし、アニメブームの火付け役となった作品の1つ。

※7 コスモス……アメリカの天文学者でもあり、作家でもあるカール・セーガン博士が監修した、宇宙を題材としたドキュメンタリー番組。

※8 「PET2001」……1977年にアメリカのコモドール社が発売したパーソナルコンピューター。モニター、キーボード、本体が1つになっているのが特徴。

※9 「MZ-700」……シャープが発売していたパソコン、「MZ」シリーズの1つ。1982年発売。

※10 「ぴゅう太」……トミー(現タカラトミー)が1982年に発売したゲーム機。ソフトを取り替えることで、さまざまなゲームが遊べたほか、キーボードを搭載しており、プログラム作成も行うことができた。

※11 『ドラクエ』……日本のロールプレイングゲームのパイオニア的ソフト。第1作目は1986年にファミコンで発売されており、スーパーファミコン版やゲームボーイ版、パーソナルコンピューターのMSX(エムエスエックス)版も存在する。キャラがつねに正面を向いているため、人物に話しかける際に東西南北を選ぶ必要があった。

※12 『夢幻の心臓』……クリスタルソフトから発売されたパソコン用のロールプレイングゲーム。三大RPGの1つで、『夢幻の心臓III』まで発売されていた。

※13 『ストII』……カプコンの『ストリートファイターII』のこと。言わずと知れた、対戦格闘に火をつけたゲーム。

※14 「X68000」……1987年にシャープが発売したパソコン。同梱された『グラディウス』のグラフィックの美しさに多くのゲームユーザーが驚いた。

※15 「98」……NECのPC9801シリーズのパソコンのこと。

※16 『1942』……カプコンが1984年にアーケードで発表した縦スクロールシューティング。太平洋戦争を題材としており、アメリカの戦闘機に乗り込み、日本軍の戦艦を撃破していくというゲーム内容。

※17 宮路兄弟……ゲームアーツを創立した宮路洋一氏、武氏の兄弟のこと。中学生時代からプログラミングの仕事をしていたなど、すごい兄弟。

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