

『ナイツ』や『スペースチャンネル5』などのサウンドを担当された幡谷尚史さんは、今年でセガに入社してから17年目と、人生行路の中で最も職歴が長い。そんな幡谷さんの仕事の姿勢は、目的意識やこだわりを持ちつつも、柔軟に仕事をこなす。さらにどれだけ愛を持って、タイトルに接することができるか。継続は力なり。長く続けるための極意を幡谷さんの人生から学ぼう。
――その後は入りたいと思われていた高校へ? そこを選ばれた理由というのは?
幡谷尚史(以下幡谷、敬称略):もう一転して、自由な学校だったというのが理由ですね。で、とにかく広大な敷地で、スポーツも盛んで、服装も……当時は学生服の上に学校のスタジャンを着るのが流行っていて、そんなのもあるのかと。かっこいいなぁと。髪も伸ばし放題でしたしね。今まで抑圧されていたものが全てある学校だったので、心を奪われてしまったんでしょうね。
――そんな理想の高校での生活は?
幡谷:入学して間もなく、その自由なムードに逆に失望するんですよ。軽薄さを知るんですよね。いかにも都心の私立校、でしたからね。あれですよ、ヴィトンのボストンバックで登校してたり、ジャニーズ全盛だったので、そういった髪型をしてたり、帰りに渋谷でナンパしたりだとか。ここでボク、立ちどまってしまって。なんだここはと。中身のなさにあきれる。いや、あきれるんじゃないや、その中でボクももまれてたんですよね、同じように(笑)。
――部活は何か入られてましたか?
幡谷:一応バンドをやってました。スポーツ系の部活は厳しかったんで、今から自分がそれなりにできることって、音楽かなって思っていたんで。その頃はロック、アメリカンハードロック。TOTO(※1)とか、JOURNEY(※2)が全盛の時で。それのコピーをやってましたね。
――バンド活動での思い出はありますか?
幡谷:ロックをやっていたのに、途中でフュージョン(※3)ブームが来るんですよね。それでロックやめてジャズ研に入って、日本のフュージョンのかっこいいの、本多俊之さん(※4)だとかですね、渡辺香津美さん(※5)だとか。そこにどっぶり入っていくんですよね。それでライブで演奏する楽しみだとか、ジャズだからお互いにアドリブでセッションする楽しみを知って。さらにその辺りから歌モノもやったりして。ボクはブラックミュージック(※6)も好きなので、それのコピーをやったりと。学園祭やライブハウスなんかで演奏してましたね。ほとんど音楽、バンドといった生活でしたね。それで曲をぼちぼち作り始めてたのかな? 当時はまだ機材がないので、ドラムの代わりに雑誌をスティックで叩いたり。みんな、いろいろなアイデアでやってたと思うんですけど、ラジカセを2つ使うとか。ボクの場合はアンプに、まず雑誌をスティックで叩いて作ったドラムの音を入れて。もう1つのアンプにベースを弾いて入れて、それを合わせたものをテープに録るって形で曲を作ってましたね。
――エレクトーンから始まり、ブラスバンドなどで培ってきたものが、
ここで開花したという感じですか?
幡谷:まだ開花はしてない…かな? ようやく自発的に活動するようになったという段階ですね。ブラスバンドで小学中学と、トランペットをやってたんですけど、結局全然上達しなかったので挫折してるんです。、でも、キーボードとか、は、ある程度弾ける楽器だったので、バンドではキーボードを担当することにしたんです。それが、いい感じで楽しくできてましたね。
――ちなみにトランペットのよしあしっていうのはどこで決まるんですか?
幡谷:トランペットは難しいですよ。指使いはある程度練習すれば、どうにかなるんですけど、吹き方でも音が全然変わりまして。澄んだ音が出せる人もいるんですけど、なんかこもったような、抜けの悪い音しか出ないなぁって、楽器のせいにしてたりもしてましたよ。
――音楽を仕事にしようと思ったのは、この頃ですか?
幡谷:まだです(笑)。ホントにコピーバンドをやってる人なんか多かったし、ボクなんかよりもうまい人もたくさんいたし、そんなことを考えるのは恐れ多かったですね。
――趣味で楽しみとしてやっていた感じと。
幡谷:大学の時もそうですけど、校内の一流のバンドが集まるライブがあったんですけど、ボクはつねに2番目とか、3番目のバンドでやっていましたね。
――その後は大学へと。
また同じような質問になりますが、大学での生活はいかがでしたか?
幡谷:アルバイトとバンドと。アルバイトして遅く起きて、たまにバンドの練習して、たまにライブやって。ホント親不孝だったと思います。その頃10万ぐらいで簡単に多重録音ができる機材が発売されたので、そこからは音楽ばっかり作ってましたね。オリジナルの曲をやるようになったのもその頃です。作る楽しさを知りました。大学2年か3年の頃だと思うんですけど、ホント夢中になって、音楽をやってましたね。
――ずっとバンドとバイトばかりで?
幡谷:そうですね。でも、父親の仕事の手伝いもよくするようになってまして、写真の助手もアルバイトとしてやっていたので、写真にもちょっと興味がでてきましたね。企業の成功した人だったり、タレントだったり、インタビュー用の写真やポートレートが多かったんで、父の取材先について行って、話を聞いたりするのは楽しかったですね。
――まだまだですか? 音楽を仕事にしようと考えられたのは。
幡谷:それはホントに就職活動の時ですね。で、父親は就職関係の雑誌の仕事をやっていたんで、セガにも取材に行ったことがあったらしいんですよ。父親が「この前セガに行ってきたんだけど、こういう会社で音楽作る仕事があるよ」ってことを教えてくれたりだとか。それではじめて(音楽を仕事にしようということを)考えだすんです。その頃、サークルの先輩が学校に勧誘にきたんですよ。繊維などをやってるTEIJIN(※7)に就職した先輩が。TEIJINは薬も扱っているんですけど、薬の営業の人材を集めているってことで受けたら、最終面接まで行って。もう音楽は趣味でやっていこう。それだったら、土日が休めるようなところがいいかなと。そう思っていたら、いきなり最終面接で落ちたんですよ。たぶんボクは口下手でとかって言っちゃったと思うんですよ(笑)。営業の仕事ですから、口下手じゃありえないので、そのひと言で落ちちゃったと思うんですけど。それがかなり大きい運命の別れ道だった気がしますね(笑)。
――確かに大きな分岐点ですよね。それで……。
幡谷:ボクはそういう大事なことを真面目に考えない人間で。先のことを考えてなくて、最終面接で落ちた時には、もう世間の就職活動は終わってて、すごく中途半端な状態になってしまって。でも、その年にセガも受けていて、あきらめた頃に、採用通知がくるんですけど、その年、ボク、留年してしまうんですよ。
――あら! そういう場合はどうなるんですか?
幡谷:謝りに行きましたよ。親にもかなり怒られました。それで次の年にまた受けて、採ってもらったんですが、よく採ってくれたなと思いますね。
――セガとしては音楽を作る人として応募された形で。
幡谷:そうですね。審査がデモテープだったので。デモテープを出して。
――そこでようやく音楽を仕事にしようと。
ゲームの会社に入られたわけですが、これまでゲームというのはされてました?
幡谷:やってましたよ。大学の頃にファミコンが出て、『スーパーマリオ』(※8)とかやってましたね。履歴書に書き忘れてますが、『ポートピア』(※9)なんかも大好きで、よくやってました。『ドラクエ』(※10)もやりましたし。
――そんなにゲームにどっぷりというわけでもなく、
ゲームの会社に入られたわけですが、どうでしたか?
幡谷:何でもやりますといった感じでしたね。ともかく自分は曲を趣味で作ってたけれども、例えばシンセサイザーで音を作ったことがなかったり、その頃シーケンサー(※11)というものが出はじめていたんですが、それを扱えなかったり、できないことがいっぱいあったので、半分は勉強できればという気持ちで、「ありがとうございます」といった感じで入社しましたね。最初の仕事はテープを渡されて、それをデータに打ち込めるように譜面に起こす。採譜ですよね、いわゆる耳コピだったんですが、楽譜を書いたことがないので、おたまじゃくしの点がすごく大きくなっちゃって、すごくかっこ悪い譜面を書いてましたね(笑)。
――耳コピっていうのは練習してできるようになるものなんですか?
幡谷:ボクは、エレクトーンとか、ブラスバンドの経験があって、譜面は読めたのでやっとできたんですが、そういう下積みがないと厳しいと思いますよ。
――最初のお仕事はハードでいうとどの時代で?
幡谷:たぶんマスターシステム(※12)の仕事だったと思いますね。世に出たのかもわからないんですが、ボクシングゲームなんかをやりましたね。日本では発売されなかったソフトかもしれませんが。
――採譜のお仕事はどれぐらいの期間やられていたんですか?
幡谷:採譜自体はそれほど長くはなかったんですが、そこからコンピュータで曲を作る課題を与えられて、曲をちょっと作ってみたり、それをデータにする仕事とかをやりましたね。
――楽器を弾いて曲を作るのとは作業の手順が違うわけですが、
戸惑いなどはありませんでしたか?
幡谷:基本的にボクは自分で弾いたものを重ねていくという形でしか、曲を作ってなかっくて。コンピュータというのは、マウスでプチプチ音符を打ち込んでいくだけでも、曲になるので。全然それでできるものが違うんですよ。テクノ的発想。意外性が楽しいというか。音符をこう並べると、こんな音が鳴るのか、って、そういうことに夢中になってましたね。
――こんなのは「音楽じゃないぞ!」なんて気持ちはまったくなく。
幡谷:全然もう。この頃は一転して、前向き人生で。何でもやるし、何でも楽しかった。こういう音楽の作り方もあるのか。とにかく曲がどんどんできることが楽しかったですね。
【編集部注釈】
※1 TOTO……トトと読む。アメリカのロックバンド。
※2 JOURNEY……ジャーニーと読む。こちらもアメリカのロックバンド。
※3 フュージョン……音楽のいちジャンル。ジャズを基調に、ロックやR&B、電子音楽などを融合された(フュージョン)音楽のこと。
※4 本多俊之さん……サックス奏者。映画やCMの曲も数多く手掛けており、アニメ映画「メトロポリス」や「茄子 アンダルシアの夏」などの音楽を担当。
※5 渡辺香津美さん……ギタリスト。YMOのワールドツアーなどにもサポートとして参加されている。念のために言っておくが、男性です。
※6 ブラックミュージック……黒人発祥の音楽の総称。ビートの強さが特徴。
※7 TEIJIN……正式には帝人株式会社。産業用繊維や化成品、医薬などのメーカー。
※8 スーパーマリオ……1985年9月にファミコンで発売されたアクションゲーム『スーパーマリオブラザーズ』のこと。日本国内で681万本、全世界で4,024万本も売れており、世界一売れたゲームとしてギネスブックにも登録されている。
※9 ポートピア……『ポートピア連続殺人事件』のこと。堀井雄二氏がほぼ1人で制作したアドベンチャーゲームで、1983年にエニックスよりパソコン(PC-6001)で発売。その後、ファミコン(ファミコン初のアドベンチャーゲーム)などにも移植され、人気を博す。現在でも携帯電話のアプリで遊ぶことができる。

(C)1985 ENIX
※10 ドラクエ……日本のロールプレイングゲームのパイオニア的ソフト。第1作目は1986年にファミコンで発売されており、スーパーファミコン版やゲームボーイ版、パーソナルコンピューターのMSX(エムエスエックス)版も存在する。キャラがつねに正面を向いているため、人物に話しかける際に東西南北を選ぶ必要があった。
※11 シーケンサー……正式にはミュージックシーケンサー。データを再生することで自動演奏を行ってくれる装置やソフトのこと。
※12 マスターシステム……1986年にセガが発売した家庭用テレビゲーム機。セガ・マークIIIの上位互換機で、FM音源ユニットや連射装置が内臓されている。ソフトを挿さずに起動すると『スペースハリアー』の曲が流れる、ちょっとした機能も。
