

ゲーム開発の仕事は徹夜などもあり、キツイもの。そんな状況の中で、楽しく仕事するためには息抜きがとても大切だと語る長井伸樹さん。趣味がメインで、仕事はサブ? そんな長井さんの仕事っぷりから業界の荒波を越えていく極意を学ぼう。電撃PSPにて、好評連載中の長井さんのコラム「ちょっとヘル2007」と合わせて読めば、開発秘話の楽しさ倍増必至!
――ゲーム以外には、マンガとかアニメとか、ハマっていたものはなかったんですか?
長井伸樹(以下長井、敬称略):あります、あります。今からお話しようと思っていた続編のところで(笑)。で、マンガに行く前にアーケードゲームを一時期プレイしていたんですよ。小学校の5、6年の時に『ペンゴ』(※1)が出て、それがすごく好きで『ペンゴ』ばかりやっていたんですよ。そのあと、中学校を受験して、その後も塾に通わされてたんです。でも、燃え尽き症候群で、全然塾に行く気がしなくて……。それで塾が新宿だったんですが、サボって歌舞伎町の50円ゲーセンにばっか行ってたんですよ。そこでアーケードの楽しさを知ってしまって……。塾への電車賃を歩いて浮かせたりして、遊んでましたね。でも、ついにバレて、ものすごく怒られて、塾も辞めさせられて、ゲーセンにも行けなくなっちゃったんですよね。それでボクのアーケード時代は終わったと。だから、好きなゲームが『ロードブラスター』(※2)ぐらいだったりするんですよね、意外に短い。一瞬で燃え尽きたみたいな(笑)。
――『ロードブラスター』って、LDゲーム(※3)ですから短いですよね。
長井:LDゲームが大好きだったんですが、LDゲーム好きっていうのが、いかにも作業好きって感じで。脳みそ使わないぞみたいな、当時からそういう人間だったんでしょうね。履歴書にも書いた『CLIFF HUNGER』っていうゲームも、最近タイトルを知ったんですが、「カリオストロの城」(※4)ってあるじゃないですか、あれのLDゲームなんですよね。アメリカで作っていたみたいで、日本には2台ぐらいしか入ってきてなかったらしく、それが新宿のカーニバル(※5)にあって。やってる人の後ろで「左、左、右、右、左、下」とか、手順をメモったりして……。ゲーセンで初めてクリアしたゲームが、これじゃないかなと。
――『CLIFF HUNGER』ですか……このゲームも知りませんでしたね。
長井:ボクも名前を知ったのは最近で。「カリオストロの城」のLDゲームがあったって言っても誰も信じてくれませんでしたしね。で、これがボクのアーケード時代だったんですが、それと平行して、小学校5、6年の時に……って、全部小学生の終わりの頃のお話で申し訳ないんですが、週刊少年ジャンプを塾の友だちの影響で読むようになって。当時「リングにかけろ」(※6)が大好きでしょうがなくて、模写とかを始めまして。トレーシングペーパーを使って描き写したり、ジャンプの裏表紙とかに載ってた通販で、名前は忘れちゃったんですが、小さな絵が拡大して描けるぞ! みたいなアイテムを入手してきて描いたりしてましたね。それで絵を描くのって楽しいなということになってきて、中学生時代の後半ぐらいからマンガを描き始めて、高校生ぐらいからはマンガ時代に突入しましたね。
――ゲームからは離れた感じで?
長井:PCのゲームもちょっとは遊んでいましたが、圧倒的にマンガと、あとアニメに割く時間が多かったですね。
――時期的にもアニメブームとかでしたしね。
長井:そうですね。それでマンガ家か、アニメーターになりたいと思いつつ生活してました。完全帰宅部だったんで、ひたすら毎日立ち読みですよ。夏休みに「熱笑! 花沢高校」(※7)とかを全部読んだり、これが真面目な本だったら、勝海舟みたいな真面目な人みたいなんですけどね(笑)。それぐらい、マンガマンガマンガで知識を貯めてましたね。
――影響を受けた作家さんとかはいらっしゃいますか?
長井:楠桂(※8)さんですかね。高校の2〜3年の頃よく作品を読んでました。それでその頃はまだ同人誌っていっても、雑誌の投稿コーナーで「一緒に作りませんか?」みたいなのがあって、そこに応募して作るって感じで。山口県の人に手紙を出して、一緒に本を2冊ぐらい出しましたね。
――同人誌は、まだまだ時代としてはマイナーな時期ですよね。
長井:大学の頃はもうかなり大きくなってましたけど、高校の頃はまだまだマイナーでしたね。マンガを描きたいなって人は何人かいましたが、同人誌を作ってる人は確かにいませんでしたね。ただ同人誌を作ってることは、学校では一切言わなかったです。学校では別の顔みたいな。これまでもずっとそうなんですけど、趣味は趣味、学校は学校。二面性を持った男みたいな(笑)。まぁ裏側の顔がもうちょっとかっこよければいいんですけどね、特命係長(※9)みたいに(笑)。
――ちなみに学生生活はどんな感じでしたか?
長井:反骨精神ばっかりが強くて、不良じゃないんですけど、先生に何か言われたらすぐ言い返すみたいな生徒でした。結構怒られてましたね。学園祭の出し物とかあるじゃないですか、その空き時間は何をしてもいいはずなので、「ゲームして遊ぼうぜ」ってカードゲームみたいなのをしてたら、先生に怒られて。そこからは大反抗! 大騒ぎになっちゃって、怒られたり。そんなことばっかりしてましたね。
――高校卒業してからは大学ですか?
長井:そうですね。親にいろいろ言われて、大学受験はしたんですよ。で、大学入って、漫研(マンガ研究会)に入って、マンガをちょっと描いてたんですけど、漫研に入ったら、今度は麻雀しかしなくなっちゃって(笑)。大学は麻雀の時代なんですよ。
――ゲーム→マンガ→麻雀と(笑)。
長井:ひたすら麻雀ばかりしてたので、大学時代はあんまり話すことがないんですが、麻雀ばかりしてて、ちょろちょろとマンガを描く感じで。
――どんなマンガを描かれていたんですか?
長井:高校の頃は、当時のがきんちょが考えるようなエセファンタジーみたいなのとかを描いてました。大学時代はスポ根モノですね。麻雀90%の短い時間の中で描いて、投稿したりしてましたね。
――賞を獲られたりもしたようで。
長井:サンデーかな? 佳作みたいなのをもらって、担当の編集さんもついたりして、ネーム(下書き)を見せたり、アシスタントの仕事をさせてもらったりして、マンガ家になるかならないかって悩んでたんですよ。で、賞をもらったのが大学4年生の時だったんですが、当時付き合ってた彼女を食わせるためには、マンガ家でやっていくのは厳しいだろうってことで、ゲーム業界を目指すんですけど、「そういうアナタを見たくなかった」と、その彼女にはフラれてしまったと。ドラマみたいですよね。
――マンガ家を捨てるってのは断腸の思いだったと思うんですが……。
長井:断腸の思いでしたね。直近の先輩とかでデビューした人もいたりしたので、「行けるかも」って気持ちもありましたし。でも、彼女を食わせて行くには、不安定な仕事よりも勤めた方がいいだろうと思ったんですよ。
――仕事の選択肢として、公務員とかもあったと思うんですが、なぜゲーム業界に?
長井:できるわけないじゃないですか! 麻雀とマンガしかやってなくて、積み重ねがないんですから。しかも、就職なんて大学4年になってから考えたんですから。で、入社試験の面接とかでは、今までやってきたこととか話すわけじゃないですか。そこで今までの履歴で通用する分野と言えば……これしかないということで、ゲーム業界に。それで何社か受けまして、テクモさんに入らせていただいたという流れですね。
――テクモさんには、どういう役職で入社されたのですか?
長井:決まってませんでしたね。新卒の場合はファミコンのゲームを作らせてみたりして、プランナーになる、プログラマーになるって決めていく形だったので。で、ボクはプランナーになったという形で。
――履歴書を拝見させていただくと、最初は世に出てないゲームを作られていたと。
長井:そうですね。2年間ぐらいはスーファミのゲームを作ってましたが、諸事情で発売が見送りになってしまいました。なので、入ってから4年間は自分が携わったソフトは出てませんね。
――その後はどのようなお仕事を?
長井:新企画を考えろっていうことで、先輩につけられてたんですが、最初のうちはアーケード基板の工場で宛名書きをしたり、ゲームショウの手伝いをしたりしてましたね。でも、おかげさまでうちのチームの『モンスターファーム』(※10)がヒットになりまして、続編の『モンスターファーム2』、さらに『UNiSON』(※11)と。その間もいろいろなタイトルの手伝いなんかもやってまして、かなり忙しかったですね。それで、9年ぐらいやってたんですけど、ゲームを作るのって、追い込み時期なんかだと極めて濃密な毎日(笑)が続いたりして、やっぱり体力が消耗するんですよ。それでここでも燃え尽き症候群ですよ(笑)。いったん、休息しようということで、退社させてもらうことに。
――でも、年齢的には30直前で、仕事を辞めることに対して不安はありませんでした?
長井:先のことをあんまり考えないタチなので、不安とかは全然なかったですね。その当時は焼きイモ屋か、雑煮屋のどちらかになれればいいやって思っていて。「焼きイモ屋のチェーンはない。ヘルシーでおしゃれな焼きイモ屋でオレは大きくなるぜ」みたいなことを考えて、気持ちが大きくなったり。あと、僕は毎日食べてもいい! ってくらい、雑煮が大好きなんですよ。雑煮を食べさせる店って、あんまりないじゃないですか? しかも、日本全国いろいろな味があるので、それを集めて、全国の雑煮が食べられる店を作るとか。そんな話ばっかりしていて、「またホラ話してるよ」って言われたりね。なんかやることはあるだろうって、不安はホントになかったですね。
――なんとかなるだろうってのは、すごいですね!
長井:実は1994年の半ばあたりから、女子プロにハマり出したんですけど、その年の年末に彼女と別れたのもあって、そこからガクンとアクセルが踏み込まれて、「これ、いったるでぇ」ってなって(笑)。全日本女子プロレス(※12)って団体の事務所が目黒にあるんですけど、そこに夜行くと、追っかけの友だちがいるわけですよ。それで朝まで友だちと話をして、朝帰って寝て、仕事に行くような生活を繰り返すようになったんです。その後某沖縄系アイドルユニットを見にいくようになったりして、友だちもかなり増えてたんですよね。友だちもこれだけいるし、その連中もなんとかしてるんですよね、会社辞めたヤツとか。そういう友だちが周りにいたので、「中年フリーターでも行けるか、結婚もしてないし、彼女もいないし、何とかなるだろう」って感じだったんですよ。
――退社後は何をされてたんですか?
長井:プラプラしてました(笑)。海外に行ったり、飲み会をやったり、リフレッシュをしましたね。あと某アイドルグループにハマってまして、海外に行って、その足で石垣島に行って、沖縄でコンサートがあるっていうんで、沖縄に渡って、次は鹿児島に行くっていうんで、そのままついて帰ってくるみたいな、アホかって言われるような旅なんかしてましたね。夢のような生活でしたね。まぁそろそろ、またリフレッシュしないとなって思っているんですけど(笑)。
【編集部注釈】
※1 ペンゴ……1982年にセガがアーケードで発表したアクションゲーム。ペンギンのペンゴを操り、ステージ上のブロックを使って、敵を全滅させるのが目的。メガドライブ(写真)やゲームギアなどに移植されている。

(C)SEGA ENTERPRISES,LTD.1995
※2 ロードブラスター……データイーストがアーケードで発表したLDゲームで、悪の軍団に復讐をするために、車で戦いを挑むというゲーム内容。PSなどにも他のLDゲームとのカップリングされた形で販売されている。

(C)1992 DATA EAST CORP./TELENET JAPAN(WOLF TEAM)
※3 LDゲーム……アニメや実写映像を使ったゲーム。ドットによるグラフィックが全盛だったため、迫力のある映像で、当時のユーザーに多大な衝撃を与えた。ただしゲームシステムは流れる映像に合わせて、表示される矢印やボタンをタイミングよく入力していくというかなりシンプルなもの。
※4 カリオストロの城……アニメ「ルパン三世」の劇場版の2作目。宮崎駿氏が初めて監督をつとめた劇場映画としても有名。
※5 カーニバル……新宿の歌舞伎町にある1プレイ50円のゲームセンター。
※6 リングにかけろ……1977年から6年間、週刊少年ジャンプで連載されていた、車田正美氏のボクシングマンガ。ギャラクティカマグナムなどのページぶち抜きで繰り出される必殺技などで人気を博す。
※7 熱笑! 花沢高校……4人組のマンガ家・どおくまんのマンガ。昭和56年から週刊少年チャンピオンで連載、単行本は全29巻も発売されている。
※8 楠桂……くすのきけいと読む。『八神くんの家庭の事情』や『鬼切丸』などで有名なマンガ家。
※9 特命係長……ドラマにもなった、柳沢きみおのマンガ「特命係長・只野仁」のこと。会社ではダメダメな主人公・只野仁だが、陰では会社のために活躍しているという痛快な作品。
※10 モンスターファーム……1997年にテクモがPSで発売した、モンスター対戦ゲーム。音楽CDを読み込ませることで、モンスターが誕生するという画期的なシステムで話題を呼ぶ。2007年秋にはオンラインゲームのサービスも予定されているなど、シリーズ作の数は10以上にもなる人気シリーズ。
※11 UNiSON……おなじみの歌謡曲の振り付けをアナログスティックで踊るという、2000年にテクモがPS2で発売したリズムダンスアクション。
※12 全日本女子プロレス……古くは、マッハ文朱、ビューティ・ペア、ジャガー横田、ダンプ松本、アジャ・コングらが所属していた、女子プロレス団体。全盛期には年間250試合も行っていたとか。2005年に解散。