

英才教育や寮生活など、抑圧された環境ながらも、遊びに貪欲(いい意味で)で自分の道を突き進んできたという石渡太輔さん。その前向きな姿勢は、クリエイターを目指す人間にはなくてはならないもの。インタビューから彼の物づくりへの情熱やこだわりをひしひしと感じとってほしい。書き込まれた履歴書の好きなゲームの欄も必見!!
――クリエイターさんのキャラクターというものを前面に出せればと思ってますので、ゆったりとした感じで……。
石渡太輔(以下石渡、敬称略):じゃあ、こんな感じで(机にダラリと寝そべるポーズ)。たぶん、つかみ所がないという結論になりそうですが……(笑)。
――雑談感覚で全然大丈夫ですよ。では、まず最初に出身地がかなり気になるところですが、南アフリカ共和国のヨハネスブルク(※1)生まれというのは?
石渡:両親の仕事の都合で、向こうで誕生と。それで生まれて、すぐ日本に戻ってきたんですけど、小学校3、4年の頃から中学2年の後期ぐらいまで、また向こうに行ってましたね。
――最初に日本にいた頃っていうのは、どんな生活を送られてましたか? ちなみに日本でのお住まいはどちらで?
石渡:家は横浜でしたね。生活も特に普通だったと思います。ただ昔から冒険好きだったとは聞きますけどね。当時から三輪車で、家出はするつもりはないんだけど、結果として家に帰ってこれない(笑)。というようなことはありましたね。それで面白かったのが、人の縁なんですけど。夜中に迷子になっていて帰れなくて、近所のおじさんにみつけていただいて、「キミ、どこから来たの?」というのをきっかけにすごく仲よしになりまして。そのおじさんが他界されるまで、毎年クリスマスプレゼントをいただいてましたね。
――スゴイですね! そのおじさんというのは大富豪とかで?
石渡:いや、特に普通のおじさんですよ。
――なにか石渡さんにひかれるものがあったんでしょうね。
石渡:夜中なのに、帰れないって泣いてるわけでもなく、「強盗とか来たらどうするんだ?」って聞かれても、当時ずっと水鉄砲を持ち歩いていたらしく、「これがあるから大丈夫です!」って答えてたみたいで(笑)。
――幼稚園の頃って、夜は9時ぐらいに寝るじゃないですか。深夜に出歩いて、物怖じとかしないというのがスゴイですね。
石渡:そうですね。物怖じした記憶はありませんね。むしろ楽しいという記憶の方がありますね。「帰れないのは、ちょっとことだな」と思いながらも、遊んでいたと(笑)。
――小学校に入ってからは、どんな生活を送られてましたか?
石渡:遊びはしてましたが、勉強はしなかったですね(笑)。遊びに飢えてまして、それはなぜかというと、父親が高学歴なもんで、英才教育というか、僕を絶対有名大学に行かせるという腹づもりで。もう小学生の頃から土日は確実に1日つきっきりで勉強。だから、土日のない生活が中学生ぐらいまでは続いていたんですよ。それが結構ストレスだったんじゃないですかね。
――ちなみに小学生、中学生の一時期は南アフリカにお住まいとのことですが、海外での生活というのは、どういったものなんですか? ヨハネスブルクって、調べてみると治安があまりよくないとあったんですけど……。
石渡:治安が悪いってのは、今の話ですね。昔もあぶない街でしたが、当時はアパルトヘイト(※2)があったんで、日本人は名誉白人扱いで、白人居住区にいたんですよ。だから、住んでいた場所の治安は安定してましたね。で、住居が社宅ということもあったんですけど、異様に広くて、2,000坪の家に住んでました。プールがデフォルトで付いているような大きな家でした。
――2,000坪というのが想像できません……。ともかく、英才教育の反動で遊びには飢えていたと?
石渡:そうですね。その反動でゲームが好きになったり、漫画が好きになったり。
――世代としては、ゲームはファミコンになりますか?
石渡:えーと、僕の場合はアフリカにいる最中に、ファミコンが発売されて。で、アフリカにいるときは、遊びというと屋外ですることが多くて。サッカーか、卓球か、ゴルフか、あとテニス。だいたいそんなところがメインだったんですよ。それで、あるとき友だちがMSX(※3)を親に買ってもらって、『イー・アル・カンフー』(※4)を初めて触らせてもらったんですよ。そのときの衝撃といったらなくて、「ゲームやりたい、ゲームやりたい」でしたね。
――『イー・アル・カンフー』が初めてのゲームで?
石渡:『インベーダー』(※5)とかはやってました。小学生のときに、友だちに金持ちの子がいまして、いつも彼は親が留守にしてるんですよ。それでたぶんご飯用にだと思うんですが、お小遣いをもらってまして、当時は真っ暗で、不良の溜まり場と言われていたゲーセンに、そのお金を持って、彼が行くんですよ。それにあやかって、一緒に菊名(※6)のゲーセンに行ってましたね(笑)。そのときはやっていたと言えば、はやっていたんですけど、そんな熱狂的ではなかったですね。しいてハマッたゲームを挙げれば、『新入社員のとおるくん』(※7)が駄菓子屋に置いてあって、やたらやったのを覚えてますね。
――そういうのがあって、『イー・アル・カンフー』へと……。
石渡:そうです。でも、その友だちがもったいつけて、「今日はゲームはここまでにしようぜ」とか、なかなかやらせないわけですよ。「お前は持ってるからいつでもやれるけど、オレはここに来たときしかやれないのに」といった感じでやきもきして。当時、学研か何かだと思うんですけど、とってたんですよ。その学研のなかに、ゲームコーナーみたいなのがわずかですがあって、それを毎月見るのが楽しみでしたね。それで、今度『ドラゴンクエスト』(※8)っていうゲームが出るぞっていう記事がありまして、そこに鳥山明(※9)の絵がドット絵で出てたんですけど、僕にはそのドットは見えてませんでした。鳥山明のものすごいが広がってて……。「スゴイな、こんなのが出るんだ」と、親にファミコンを買ってくれって頼んだんですけど。親は英才教育派だったんで、ゲームをやるとバカになる、という思考が強いんですよ。だから、絶対に買わない。でも、頼むからと言って、お正月とクリスマスと誕生日を1つにまとめて買ってくれとお願いして、どうにかファミコンを買ってもらうことになったんですよ。
――お正月とクリスマスと誕生日のパワーを溜めたわけですね(笑)。
石渡:でも、これを家でやるのが大変で。やってるところをみつかると破壊されてしまうので、親がいない合間をみつけて……。親がでかけたー、ガシャッ! 帰ってきたー。しまえーみたいな(笑)。そんな感じで必死にやってましたから、やっぱり英才教育の反動は強かったんじゃないですかね。で、さらに僕、高校生になると寮学校だったんですよ。
――寮学校? また禁欲生活のニオイがしますが……。なんという高校で?
石渡:千葉の暁星国際高等学校という学校でした。野球選手の小笠原(※10)っているじゃないですか? 彼と同じ学年で、一緒にソフトボールやってました(笑)。山奥にある寮学校で、テレビの持ち込み禁止の学校だったんですよ。だもんで、そこでまた反発してしまって。千葉の木更津(※11)というところにいたんですけど、何でも屋さんみたいなお店で車載用の小さいテレビを買ってきて、当時僕はPCエンジンフリークだったので、PCエンジンをつなげて、みんなで夜中遊んでましたね。当時はお金がなかったんで、ゲーム機を集めるみたいなことができなくて。そのPCエンジンも親に買ってもらったというのではなく、友だちがメガドライブを買うというので、「じゃ僕がPCエンジンを買うよ」と、せこせことお金を集めて買ったみたいな感じで。スーファミは仲間うちで持ってるヤツがあんまりいなくて、当時は全盛期だったんですけど、うらやましいかたわら、「ふんっ! ソフトはたくさんあるけど、ゲームは悪いじゃん」みたいな(笑)。
――メガドライブ好きだったので、よくその気持ちわかります!!
石渡:パソコンなんかでもX68000(※12)みたいな(笑)、コアなゲームユーザーでしたね。だから、ゲーム文化においては、アンダーグラウンドな人格形成がそこでなされたんではなかろうかと。伊達に今、自分の机の上に『エターナルチャンピオンズ』(※13)ありませんよ(笑)。
――寮の生活は厳しかったですか?
石渡:人によっては、厳しくて逃亡してしまったり、親に迎えにきてもらって退学してしまう人もいましたが、大半の人はそうでもなく。僕も最初、寮学校と聞かされてイヤで、1年のときが4人部屋で、2年のときが2人部屋。3年が1人部屋みたいな構成だったんですよ。それで「4人部屋はありえねぇーな」って思ってたんですけど、まぁこれが人生の中で最も充実していた時期ではないのかと思えるような結果になりまして。男友だち同士で、肩肘張らず、ウソもつけない状態で3年を過ごすのは有意義のひと言につきますね。特に「ダベり」と言ってたんですけど、あてどなく語り続ける時間が無限にあるわけですからね。毎日がお泊り状態。そのとき、かなりおもしろい考え方や発想ができるようになったんじゃないかなって思ってます。
――ゲームやダベリ以外の楽しみというのはありましたか?
石渡:あんまりおおっぴろげにしていると没収されちゃいますが、漫画とかもありましたね。あと土日の夜は外出届けを出さないと、外出しちゃいけなかったんですけど、よくそれを出さずに脱走とか(笑)。あっ、山奥だったんで、サバイバルゲームをよくやってましたね。虫とかにはよく刺されたり、見たこともないような虫がいたりしましたけど(笑)。
【編集部注釈】
※1 南アフリカ共和国のヨハネスブルク……南アフリカ共和国は、アフリカ大陸最南端に位置する国。ヨハネスブルクは、ハウテン州にある国第二の都市。
※2 アパルトヘイト……白人と非白人を差別的に規定する人種隔離政策のこと。1948年から1994年まで続いた。ちなみにアパルトヘイト廃止により、人種による居住制限は撤廃されたが、治安が悪化。現在ヨハネスブルクは、世界の犯罪首都などと呼ばれている。
※3 MSX……エムエスエックスと読む。1983年にアメリカのマイクロソフトと、当時ソフトウェア会社であったアスキーによって提唱された家庭用コンピューター。ソニーや松下、三洋、日立といったさまざまなメーカーが参入し開発していた。MSX1、MSX2、MSX2+、MSXturboRの性能の異なる規格が存在した。

※4 イー・アル・カンフー……1985年にコナミからアーケードで発表されたゲーム。1対1で敵と戦うことから対戦格闘ゲームの原点とも言われている。ファミコンなどに移植されており、今でもニンテンドーDSの『コナミ アーケード コレクション』や携帯などで遊べる。
※5 インベーダー……1978年にタイトーが発表した、スペースインベーダーのこと。

(C)TAITO CORP.1978-2005
※6 菊名……横浜にある東急東横線沿線にある街。
※7 新入社員のとおるくん……1984年にコナミがアーケードで発表したアクションゲーム。恋人とのデートのために、残業をざぼって会社から抜け出すのが目的。
※8 ドラゴンクエスト……ドラクエと略される、日本のロールプレイングゲームのパイオニア的ソフト。第1作目は1986年にファミコンで発売されており、スーパーファミコン版やゲームボーイ版、パーソナルコンピューターのMSX(エムエスエックス)版も存在する。開発はチュンソフト。
※9 鳥山明……とりやまあきら。漫画「ドラゴンボール」、「Dr.スランプ」の作者。『ドラゴンクエスト』以外に、『ブルードラゴン』や『クロノ・トリガー』などのゲームのキャラクターデザインも担当している。
※10 野球選手の小笠原……現在読売ジャイアンツで所属する小笠原道大(おがさわらみちひろ)選手のこと。ちなみに暁星国際高等学園の暁星は、ぎょうせいと読む。
※11 千葉の木更津……房総半島に位置する都市。テレビドラマ「木更津キャッツアイ」の舞台としてもおなじみの人も多いかと。
※12 X68000……1987年にシャープが発売したコンピューター。美麗なグラフィックの『グラディウス』に当時多くのゲームユーザーが驚いた。
※13 エターナルチャンピオンズ……1994年2月18日にセガからメガドライブ用ソフトとして発売された対戦格闘ゲーム。海外制作で、残虐なフィニッシュ技で話題を呼んだ。海外ではCD版の続編も発売されている。

(C)1993 SEGA