
主人公の資格だって?
ノンノンそんな事を考える事自体がナンセンス。
資格なんて関係ない!
だって君の人生にとっての主人公は他の誰でもない、
そう、君自身なんだよ♪ なんちて。
さてさて、ココからが本題w
映画や漫画やアニメやゲーム。
それらの中で息づく主人公になるという存在は、
『その作品を生み出す人が誰にスポットを当てたいか』
という事ではないかと思う。
つまり、視聴者やユーザーの目を惹く主人公は
その作品で何を伝えたいかで決まるのではないかと。
確かに主人公という言葉を聞いて真っ先に連想するものは、
超人的な動きで奇想天外な行動を起こすイイ男だったりするかもしれないが、
シリアス物やハートフルコメディーに、そんな特殊能力者は必要無い。
つまり主人公に『資格』なんて無いのでは? と思うわけで。
ソーいう意味では冒頭に書いた内容が意外と真理に近いのでは? とも思ったりして。
そして私が主人公である私の人生に対し、
『えぇ!? 無謀だよ』とか『やっとだな!』などと
寒暖の差が激しい御言葉をいただいておりますが、
新しいネタを仕込み中で御座います。
お前の人生になんて興味ない! と思われる方も大勢いらっしゃると思いますがw
次回のブログあたりで勝手に発表しますので宜しくお願い致します♪
■谷口篤士氏プロフィール:
ポリアセッツ・ユナイテッド・インク エグゼクティブプロデューサー
いやぁ~、里見さんのコラムは破壊力が凄いです。
危うくPCをウーロン茶まみれにする所でしたよw

毎回、お題を戴いている。今回は、主人公の資格である。
以下、芝村物語観の独自定義などで、一般定義は辞書などで見ていただきたい。
#毎度そうなのだが、今回はちょっと踏み込んで普通と違うことを、書きたい。
○主人公とは視点である。
主人公と言うものは、物語上における、視点(カメラ)である。
この定義が、多分、今一番適格で、正しい表現と言えると考えている。
以下、その説明。
物語(ストーリー)というものがある。物事の展開の連続である。
展開の連続がストーリー。展開を点として表現すると点のつながりで線になったものが、ストーリーと言うわけだ。
主人公はこの点にあたる存在である。分りやすさの要請として、点は繋がっていたほうが分りやすい。(物語になりやすい)なんで、基本は主人公=視点は同じで、これを連続させてお話にしていく。
実際線を認識するのは人の頭(の中)なので、実際は主人公は連続していなくてもいい。そういう小説も、もちろんある。 が、分りにくいのが多いので、構成力に自信がなければ普通やらない。ついでに分りやすさやテンポを重視する漫画でも、主人公を連続させるのが普通である。
いってる事が難しいかも知れない。
分りやすく言えば。
映画のカメラワークで想像していただくと、それが一番主人公に近い。
/*/
○主人公あらため。視点の資格
本来において視点は、自由である。が、物語は読者が喜ばなければ、意味はない。
映画のカメラワークで想像していただきたい。執拗に後ろ頭だけを取り続けたカメラは、面白いだろうか? 大抵の場合、(フェチでもなければ)見ている人は飽きるだろう。神の視点で俯瞰図が延々続いても、受けるかといえば、あんまり一般的ではない。
一般的なのはかわいい女の子の顔が見れるところ、綺麗な空を見上げるところと言うわけで、基本的には、人間の視点に近いほうが、正解なわけだ。
これが、主人公が人間である、主たる理由である。そして、映画と違ってこのカメラは、喋る。(映画と違って)なにせ黙っていると、文字ではなにやってるか全然わからないからである。カメラや視点は物語上において存在し続ける限り存在を主張しなければならないわけだ。目立つか、どうかは別として。
ついでに言えば読者にとって、カメラは出来れば、(カメラを通して読者に見せる関係上)読者の気になるところを、見て欲しいものである。かわいい女の子の着替えシーンは、ぜひ見せて欲しいのが人情だ。 これを、お話作りの専門用語では、共感、シンパシーあるいは感情移入と言う。
いい主人公と言うのは共感しやすいカメラワークするカメラ(人間)である。
商業という形態においての主人公の資格とは、要するに共感をうみやすいか、どうかと言える。
/*/
○歴史とその変転。
物語作りの長い歴史における大部分の間において、主人公とヒーローは、同じであった。
これが目立って変化するのは、イギリスの新聞で物語が連載掲載され始めてから、すなわちそれまでと比較して桁外れの商業化、大衆消費社会化してからである。
一連のシャーロックホームズなお話がこの典型例で、主人公(カメラであるワトソン)はホームズと言う、ヒーローと分離して展開している。
以後、大衆消費社会下でのストーリーではこの方式が一般化している。
なんでこうなったかというと、差別化の問題であり、たくさん物語がある上で選んでもらうために、目立つ、つまり風変わりになる必要があったためである。
風変わりなヒーローが視点、もしくはカメラとするとそのカメラワークは、変なカメラワークになってしまう。シャーロックホームズが床を虫眼鏡で見ているシーンを延々書いたとしても、面白くはない。ここはシャーロックホームズが床を虫眼鏡で見ているのをワトソンが、なにやってんのと呆れたり驚いたりしてるのが、正解なのである。
これは少女漫画や物語構造的に少女漫画に同じ文法であるライトノベルでも同じである。
少しだけいい話をすると、われわれ読者は、とっぴで変なヒーローを理解は出来ないし共感も出来ないが。好きにはなれる。これは、その頃からの物語の歴史が証明している。
我々の子孫がもし、人と大きく離れたなにかと出会っても、以上の理由から必ずいくばくかの可能性でそれを好きになり、仲良く出来ると、思っている。
我々が物語を読むのは、その予行演習である。我々の子孫が宇宙人の女の子と仲良くしていたら、コナン・ドイルは喜ぶだろう。その構造は彼の物語と、同じであるから。
■芝村裕吏氏プロフィール:
バンダイグループの一社である株式会社ベック所属営業企画部次長岡本吉弘、バンダイ側正式呼称、2代目猛獣使いの猛獣として知られる、ゲームデザイナー。

主人公の資格って言ったら、あれしかないでしょう。
下痢をしないこと。
アイタタタ…
特に、水に映った月をすくうような、賽の河原に石を積むような仕事の連続で、自棄酒煽った翌日のやつね。カッコ悪いし。
厳密に言えば、下痢をする主人公はたくさんいるだろう。だがその下痢は、ジャングルを踏破するだとか、敵に捕まって悪いもん食わされたとか、悪環境下で必死に生き残ろうとする主人公が直面する困難の一つとして、彼と彼女の不屈の闘志、生存の技術なんかを表現するためのものであって、言わば必要かつ重大な下痢である。
つたない修辞技法を駆使して言うならば、それが主人公の克服すべき敵として描かれている限り、彼の引き締まった両大臀筋の合間から迸る瀑布は、ナイアガラの滝のごとく美しくきらめき、人々の感動を呼び起こすのだ。だが、自棄酒のそれは違う。全く不要かつ矮小な、見下げ果てた下痢である。
いや、小狭い密室の便座の上に座し、更に内なる深淵へと考察を進めてみれば、こんな無用かつ卑小な下痢に苦しむ主人公もいたかもしれない。恐らくその奔流は、彼の置かれた現状に対する不満や、糞懣の大便者、もとい憤懣の代弁者として描かれ、機能していたことだろう。
そう。ここに至り、年間何万トンもの貴重な森林資源を浪費させ、暑苦しい個室の中に監禁することで、二度と取り返すことのできない『今』という輝きを我々から奪う、この忌々しくもおぞましい輩は、単なる排泄物から主人公が物語りへ参加するための装置として、にわかに色を帯びるのである。そして、恐ろしくも広大な外界へと繋がる戸口を外から叩く何者かが、女の声でこう告げるのだ。
「あなた、もうそこから出てくる頃ではなくて?」
かくて、理不尽で理解の無い日常から、白き戸を開け外なる大海原に漕ぎ出した冴えない主人公は、物語の潮流に乗る。
下るところ、もとい、つまるところ、いや、つまっても困るんだが、主人公の資格とは物語に参加する意思に他ならない。
受動的であれ能動的であれ、意識しているにせよしていないにせよ、ある時点で主人公は物語に参加することを決めている。その意思は、主人公の行動原理の最初の表れだ。彼らの物語が流れ着く先は様々だが、彼と彼女は己の行動原理に従い、自らの進む方向へ舵を取る。それが彼らの行動となって物語は紡がれていくのだ。
どれほど隠れた才能があろうと、戸口を開け物語に参加する意思のない者は主人公にはなれない。人生も似たようなものだろう。時間と同じく、先へ進もうとする物語に対して、そいつ自身が停滞しているのだから、波に乗せようがない。
密室で一生垂れ流しながら終わる主人公の話も、書けないことはないかもしれないが、面白いかどうかは別だ。なんせ、やることが出すことと拭くこと程度しかないのだから、物語はこのどんよりと停滞した空間から出たがるだろう。あくまで戸を開けないと言うならば、逃げ道は自分の中しかない。今あなたが読んでいるこの駄文のように、頭の中で考えたくだらないことを、あーでもないこーでもないと書き殴るくらいしかない。最初は馬鹿でーw と笑えたとしても、すぐ飽きるだろう。それでも飽きないとすれば、それは主人公が閉じた世界に来たというだけで、物語が停滞していない証拠だ。読者はいつの間にか、主人公が過去に参加表明した物語を興味深く追っているはずである。
というわけで、変化にとんだ物語の主人公になりたければ、積極的に参加の意思を表明することだ。良かれ悪しかれ行動には結果がついてくる。臭いのこもる閉鎖空間で、ダラダラ汗かいてるよりはマシだろう。
だが、どれほど激しく戸を叩かれようと、私はまだここを出ることはできない。すまん、紙持ってきて!
■里見直氏プロフィール:
幻の第30回は、頭の悪い人にしか見えまへん。
※編集部の不手際により記事が消えていました。申し訳ありませんでした。

至高の悪役とは、マイナスとマイナスの選択を強いてくる奴である。ダークナイトはぬるい。以上。
見ろ、俺だってやれば一行で終わらせられるんだぜ! 意味は自分で考えて頂きたい。以上。
………
俺だって、たまには忙しいんだよ! なんで、仕事するためにわざわざ有休とって家に引きこもってんだよ。人生で一番無駄な時間は、通勤時間とう○こタイムだよね! ええ、ものごっつストレス溜まってます。
さて、なんでダークナイトがぬるいのか。ヒーローにマイナスとマイナスの選択を強いていないからである。しつこいって。
ジョーカーが凄いよー、面白いよー、悪いよーって散々言われるから、そりゃもうワクワクしながら観にいったわけですよ。あまりに期待が高かったんで、実際観てみたら拍子抜けしてしまった。あれ、そんなに悪い? 実際の犯罪者やテロリストの方が、もっとえげつないこと平気でするでしょ。今のハリウッドが悪を描くと、あれが限界なのかなぁなどと身の程知らずな感想を抱いてしまう始末。
一番許せないのは、クライマックスである。ここからネタバレなんで、まだ観てない人はすぐ立ち去ることをお勧めする。
あの、犯罪者満載の船と一般市民満載の二隻の船に、爆薬が詰まってるってやつね。で、お互いの船に起爆装置が置いてあって、助かりたければ相手の船を爆破しろという仕掛け。
映画では、それぞれの船の乗員が、自分が助かるためにもう一隻の方を乗員もろとも爆破するかしないか、良心と本能の間で葛藤するんだけど、あんなの本当はバットマンにどっちかしか助けられないよって選ばせるべきでしょう! なんで肝心なとこで、ヒーローに葛藤を強いないでその他大勢に重大な選択を委ねてしまうのか。そこに、色々な大人の事情が垣間見えて、もやっとするのである。とことんやらないなら、すごい悪だなんて言わないでちょうだい。
悪を突き詰めて書いていったら、あそこは絶対、バットマンにどっちかを助けるためにどっちかを犠牲にしろと選択を強いたはずである。それが一番普通というか、オイシイ流れだろう。普通に書いていったら、絶対そっちに流れていくと思うんだけどなぁ。で、バットマンは一般市民を助ける方を選んで、大量殺人者の汚名を着せられ夜の闇に泣きながら消えていくわけですよ。ジョーカー大勝利!
そんなバットマン観たくないって?
しょうがないよ、ヒーローは本気の悪に勝てねーもの。後で仕返しはできるかもしれないけど、悪党が本気でヒーローの尊厳を傷つけようとしたら、その一撃は防ぎようが無い。それがマイナスとマイナスの選択というやつである。これをやられたら、どうやったってヒーローは傷つくのだ。
マイナスとマイナスの選択とは、どっちを選んでもマイナスの結果しか及ぼさないという状況だ。ヒロインを助けるためには、ロビンを見殺しにしなきゃいけないとかそんな感じ。そんで、その選択は選んだら必ずそうなる。都合よく回避できるような甘いもんではない。
実際の人生でもプラスとプラスの選択なんてやつはほとんどなくて、プラスとマイナスの選択もあまり見かけない。重要な選択を迫られることの多くが、マイナスとマイナスの選択なのだ。そんなのお前だけだって? ふっふっ、それはどうかな。
ダークナイトの最後の展開が、バットマンにそれを強いていたら、諸手を挙げて拍手喝采しただろう。続きが楽しみで仕方なくなったに違いない。ハリウッド的自主規制のために、ジョーカーは最後の最後で至高の悪役になり損ねたのだ。俺的に考えて。
■里見直氏プロフィール:
>少なくとも今やってる変なヤツの100倍は面白い。
…痴人のことかー!

突然、思いつきガンプラを買ってみる。うーん、最近のはスゴイね。なんか表と裏を張り合わせるだけだったゾックのトラウマで子供の頃にプラモはやめたのだが、作るのが面白いのでちょっとハマっている。
最近、風呂に入りながら本を読むという悪癖を覚えた。大きな仕事が一段落し、時間にかなりのゆとりができた。仕事に入っているときは、資料以外の本をあまり読まなくなる。その取り返しのように、温めの湯につかりながら気楽なSF小説を読む。至福だ。「スターシップ 帰還」(マイク・レズニック)、「サムサーラ・ジャンクション」(ジョン・コートニー・グリムウッド)、前者は異星人と戦争を続けている地球の航宙軍で、はみ出し者ばかり集められた老朽艦に、これまた独断専行で上層部には睨まれているが、兵士たちからは伝説のヒーロー扱いの中佐が赴任し、やっぱり大活躍、後者はAI搭載で勝手に照準合わせるわ、何種類もの銃弾を自動で切り替えるわ、あげくにペラペラ喋り、気に入らない持ち手には電撃をくらわす銃(リナックス・ゲイツ・チューリング社製!)というガキの妄想爆発設定のスーパーアイテムと暗い過去を持つ暗殺者がミスで捕まって渦巻く陰謀の駒として単身での潜入を強制される、といった内容。
そういう頭の悪いSFが大好きである。説明をしないことに価値を持たせている複雑怪奇な設定のSFを読んで、「あぁ、おれはこんな大変なものを理解しているのだ」という快感を得る楽しさも、おバカSFを読んで「よし、イケイケー」と盛り上がる楽しさも等価だと思っている。ティモシー・ザーンのブラックカラーシリーズ(強化宇宙忍者の戦争SF)は、我が心のマイベストSFの一角に鎮座している。
さて、今回のお題は「主人公の資格」だそうだ。ここ、しばらく「ヒーロー」→「アンチヒーロー」と来て、今度は主人公の資格って、似たような領域ばかりな気がするがどうだろうか?ちなみに、広辞苑には
主人公:
1 主人の敬称。
2 小説、脚本などの中心人物。ヒーロー・ヒロイン。
とある。ヒーローだと一緒になってしまうので、広く、物語の主役ということで話を続ける。
古今の物語の主役としては、老若男女あらゆる種類の人間がいる。いや、人間でさえなくていい。「シートン動物記」、「我が輩は猫である」、「銀牙」では動物が主人公であるし、ジェイムス・ディプトリー・Jrの「愛はさだめ、さだめは死」の主人公は本能につき動かされる異星のクモに似た生物である。
正義感に燃えた者もいれば、悪徳に身をやつす者もいる。臆病ゆえに過ちを犯す者、無知ゆえに人を傷つける者、あらゆる形がそこにある。
こんな所に共通の条件などあろうか?
あるとすれば、人間であること、であろう。物語とは人間を描くことである。例え、動物であろうと宇宙人であろうと異世界生物であろうと、その実態は姿を変えた人間である。狼王ロボは誇り高く、愛する人のために命を賭ける老戦士であり、モッガディートは愛情という本能に苦しむ青年である。
物語である以上、これは避けられぬ問題である。人は人の心しか理解できないのだから、そこが限界点になる。
もちろん、実験小説という形はあろうと思う。擬人化していない無生物を主人公にした文章は書けると思う。だが、それが物語としての条件を満たしているかは疑問である。
ところで、主人の敬称が主人公であるのを初めて知った。どうやって使うのだろう?
山高帽の紳士
「ちょっと失礼するよ。主人公はご在宅かな?」
とかなのだろうか?
■村山吉隆氏プロフィール:
ブルームーン・スタジオ、代表取締役。狼王ロボは、どう考えてもロボが主人公。

お陰様で、『Girl'sSide2nd Season』も大好評いただいています!
大好評すぎて……。
ところどころ、売り切れのお店が出てしまいました。
『1stLove』のときも同じようなことになってしまったんで、今回は結構多めに作っておいたんですけど、それでも。
今回はちょっとタイミングが悪くて、期末商戦な上に中国の生産工場の正月休み(2月)の影響が重なったために、再出荷まで時間がかかってしまったということがあります。
でも、3月7日以降はまた店頭に並んでいたと思います。
「近所に売ってなかったよ!」という方。ゴメンナサイ!
すみませんけど、またちょっと店頭まで足を運んでみてください。
いやぁ……。
がんばってみるものですよ、皆さん。
がんばればいつか評価される。今回の制作ではそんなことを実感できました。
ところで、ここを読んでいる方の中には、もうご予約済の方も多いと思いますが、今月末には、お待たせし続けていたイラストレーションズが、2ndSeason攻略本、ノベルの第3巻と一緒にリリースされます。
イラストレーションズは、本当にお待たせしました。
小松原さん(GSシリーズのキャラデザ)を一昨年に続いて去年も本編制作の方で抱え込んでいたことが遅れの大きな原因の一つです。
そういった意味では、正に僕の差配の不味さに問題があります。
でも、その代りと言ってはなんですが、これまでのGSシリーズイラストの総決算とも言うべき全シリーズ、キャラクター網羅の記念すべき一冊になりました。
ちょっと値がはり(税込\2,762)ますが、内容的にはかなり充実しています。
ぜひ一度、見てみてくださいね。
小説の方も、もう大詰めです。
実は先週、正に真嶋編の監修をしていたんですが……。
泣けました……。
まあ、大体において僕は、自分の考えたキャラクターのお話を他所の人が書いた物を読むと何だか泣けてしまいますが、今回みたいに出来が良ければなおさらです。
あの限られた情報を元に、よくここまで真嶋と主人公の関係を掘り下げてくれたなと。
GSの脚本では、視点が主人公側からだけ(キャラクターの心情をト書きできない)という演出上の制約も去ることながら、方針として、キャラクターの環境詳細、それまでの人生細かい好み等々……所謂キャラ設定という物を、ゲーム中では必要最低限しか描かないようにしています。
もちろん、人物を描くにあたって自分の頭の中ではかなりカッチリと、語られない過去のエピソードを作っておきます。
でもそれも、現時点のキャラの行動原理になっているようなものに限っていて、それ以外の設定はほぼ作りません。
当然、自分が書けないキャラ担当のライターさんには、担当キャラ分のエピソードイメージは共有してから書いていただくんですが、自分担当分については教えない。というくらい徹底してます。
ライターさんも、僕からキャラ造形を渡された後、当然キャラ設定を肉付けして作っていくわけですが、それも、僕の方からは何か必要に迫られない限り聞かないようにしています。
なんでかな、と、考えてみたんですが、あまりハッキリした理由は思いつきません。
多分ですけど、誰にでも引き継ぎ可能にスペック化することによって、キャラクターが記号の塊みたいなものになってしまう気がするんだと思います。
だから、よくインタビューなんかで、「●●君は、つまり××系の△△キャラってことですよね?」といった質問をされると、「あぁ、そうなんですかね……」といった具合に返答に窮します。
一緒に仕事をするライターさんを探している時も、「◎◎みたいな△△キャラ大好きですよ!」というようなアピールをされると、「この方と一緒に仕事をするのは無理だろうな……」と思ってしまいます。実際、無理に仕事を初めても十中八九上手くいきません。
どううまくいかないかと言うと、まず、「設定と呼べるようなものは、これだけです。あとはシナリオ本編を参考にということで。スイマセン」という発注から始まる。
すると、大体、本編中にあった面白い言いまわしをやたらと繰り返したり、”△△キャラ”的なエキセントリックな感じなものが上がってくる。
で、
う「なんで◎◎は、こんなにキレちゃうんですか?」
(性格破綻者じゃん、コレじゃ……)
ラ「◎◎は、本編のあそこでもこれくらキレてますよね?」
(だって、△△キャラだろ……)
う「あそこは、ヤツのあの部分に触れちゃってる上に、前段でこういうイベントがあるから云々」
(つーか、△△キャラってなんだよ)
ラ「はぁ……そうですか」
(じゃ、設定作っとけよ)
みたいな泥沼になると。
まあ、書かされる側からしてみれば、わがままも大概にしとけよ、と。そうなるのも必定です。
その点、今回のノベライズの、ちゃいさんや、本編脚本の田島さんと出会えたことは、ホントにラッキーです。
いやぁ……なんつーか、楽させていただいてます。
フツーに、上がってくる本を読むのが楽しみですからね。こんなにありがたいことは無いですよ。
そう言えば……。
以前、お客様から「次回作ではこういうキャラクターを出してください!」というお便りをいただきました。
知的財産権上の問題から、制作にそういうお便りは回って来ないことになっているんですが、なぜか普通の応援のお便りの中に紛れていたんですね。
そこでもやはり、「キャラ設定:●●系の◎◎キャラで△△好き。でも本当はハラ黒系。常に××を着ていて、髪はロングで緩く結んでいる。CVは~~さん」
という内容がみっちりと書いてありました……。
こうして考えてみると。
そもそも、僕がそういった「●●系」的な分類、キーワードに疎過ぎることに問題があるような気もしてきますね……。
田島さんや、ちゃいさんがとてつもなく大人なだけで……。
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・
で、何の話でしたっけ?
そうそう!
ノベルの話でした。
そういうことで、これから古森編の監修を始めます。
「発売日が3月28日なのに、今やってんの?」と思った方!
ピンポンです。
急ぎです。
大急ぎです。
ということで、現場復帰します。
艶男!
■内田明理氏プロフィール:
株式会社コナミデジタルエンタテインメント・プロデューサー。代表作はPS2『ときめきメモリアル Girl's Side』、PS2『ランブルローズ』、Xbox 360『RumbleRoses XX』、DS『ときめきメモリアル Girl's Side 1st Love』等。DS『ときめきメモリアル Girl's Side 2nd Season』も大好評発売中!