

最近、トランプを良く遊んでいる。
面白いのである。芝村、ゲームと名がつけば何でもやるし作る方だが、中でもトランプは気に入っているほうだ。世界中、どこでも安価で手に入る汎用ゲームコンポーネントだし、旅行にはぴったりである。
実際芝村は、旅行に良く携帯している。
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とはいうものの、本格的にトランプを遊ぶようになったのはこの4年ほどである。
正直に言えば、トランプゲームそのものを他のゲームと比較して一段低く見ていたところもある。
トランプはただのコンポーネントであり、単なるコンポーネントに優劣をつけるのはいささか乱暴どころではない粗暴な話なのだが、芝村は深くも考えず、それゆえ粗暴であった。
それが、改心したのは、祖父の棺の傍で親戚の子供たちを見ている時にトランプで遊ぼうかと言ったせいである。
あるいは慰問で終の住処をいくつか訪ねた際、おじいちゃんやおばあちゃんと遊ぶ機会があったせいで、この時に強力にこの人たちが遊ぶゲームが作りたいと思ったからであった。
目の前の人が喜び、遊ぶゲームが作りたいと思うのはゲームデザイナーがゲームデザイナーである故であろう。私はゲームデザイナーという種族とそれ以外を、極単純にこの点で分けている。
人が目の前にいて、その人が遊ぶものを我が手でつくらなけらならないと思う人間が、私の定義するゲームデザイナー。私の所属する種族である。そしてその思うは、心から湧き出すものではない。それは天から命じられるのだ。だからそれは運命(fate)ではない、天命(destiny)である。
どんな精神状態でどんな身体状態であるいは宗教、門地、場所、金銭の有無にかかわらず、ゲームデザインしようと思うのは、それが天命だからだろう。他に説明のしようもない。
ともあれ、心には熱が宿った。炎とはまだいえないが、それで私は幾千冊かの本を猟集し、また遊ぶことにした。
それが必要な時、たちどころに呪文のごとくルールを思い出し、あるいは即興でルールを構築、記述する、私に足りていないのはそんな力である。
トランプのゲームルールは明文化が少なく、方言化が進みやすい、ローカルルールや亜種が出やすいわけだ。大富豪などはその典型であろう。
ラテン語的見方をすれば、それは卑賤の証拠である。
だが私は、そう思わない。
ギボンが英語でローマ帝国衰亡史を書いたように、私は方言化や変化を肯定的に捉えてみたい。ゲームは何かを否定するための道具ではない。
私は思うのだ。無限に近い方言化された世界の多様性を利用し、これを体系的に分類、整理して必要に応じて、例えば目の前の人に応じてリアルタイムに取り出してリデザインすることは出来ないかと。ゲームの究極が貴方だけのゲームと言うのであれば、多様な方言はあるいはアイデアをたくさんたたえた、豊饒の海ではないかと。
もっとも商売の役には立たないけれど(笑)
■芝村裕吏氏プロフィール:
バンダイグループの一社である株式会社ベック所属営業企画部次長岡本吉弘、バンダイ側正式呼称、2代目猛獣使いの猛獣として知られる、ゲームデザイナー。

私は生命の神秘などにはあまり興味がない。
尊敬はしているし凄いとは思うのだが、どうにも判らないことばかりで、ついでに判らないでも全然いいやなどと思っているせいである。私は猫が私の膝の上で丸まってもその仕組みを調べようなどとは思わないし、キスするときも同じである。
自分で言うのもなんだが好奇心は旺盛な方だと思うのだが、それは生命にまでは及んでないようである。
と言う話を、見事な屏風絵を見物に行った寺のお坊さんに話したら、それは畏れというものですよ。芝村さんは畏敬をご存知でいらっしゃるといわれた。なんの実感もないがそういうものかも知れないと、茶を飲みながら思った。畏れとはようするに、踏み込まないことなのだなと武道になぞらえて理解した。
むろんのこと、生命に畏敬の念を持つのはこの国の人間なら当たり前であろう。当たり前すぎてよう分らんのであれば、それはそれで、理解の範囲内である。
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ペンギンは、なぜああいう色の塗り分けをされているかについて、深夜に話す。
なんでまた興味もないことを口にだしたかと言えば、相手が興味ありそうな話をしたせいである。
興味も何もなくても、私の記憶力は論文や本の内容をよく覚えている。
窓際に吹く風がペラペラめくった本であっても、私はその内容を記憶できる。いくつもの本を同時に思い出したり関連するものを繋げて何十年か先で同時に読書することも出来る。
ついでに私は、かつて魚の自動生成を行ったことがある。深い理由はない。ただコンピュータの中で色々な魚が泳いでいたら楽しかろうと、芝村的に考えただけである。どれだけ知識があって知恵が巡ろうと、我ら猫の友、そんなものだろう。深く考えると己を偉そうに思うだけで本質を見失う。
ペンギンのカラーリングはペンギンを見ていても意味が理解できない。
動く姿を見なければ物の本質なんて判らないよとは、私の傍にいた猫達が教えてくれる。
その通りだ。私は猫の隣で歌った。
かつて南極に行った時には全然分らなかったが、10年後の今なら判る。
記憶を再生する。私が見たペンギンは地上で群れなすそれだけで、ペンギンの全部ではない。
ペンギンの本領は水の中だろう。
水を得た魚ならぬ鳥。地上とは比べ物にならない俊敏さで泳ぐペンギンは上面が黒、下面が白である。
このカラーリングパターンはマグロや鯛、フナ、イルカやシャチ、鯨で確認できる。
ペンギンのカラーリングは光さす海に生きるものとして一般的なカラーリングである。
魚類でも哺乳類でもそうなのである。ガラパゴスで見かける海イグアナもほぼ同系だろう。
ならば鳥類もそれになるに違いない。なぜ種族が違っても同じカラーパターンになるかは私にはわからないしその仕組みに興味はないが、まあこれぞ生命の神秘であろう。
一億年前の水竜や首長竜も、同じカラーリングであった可能性が高い。
私は図鑑を白黒コピーして色を塗ってみた。なんともユーモラスで親しみがわいた。
こんな生き物はたしかにいたろうと、そんな感じがする図であった。
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光さす海と書いた。深海ではこのカラーリングパターンは通用しない。
マッコウクジラは1000mクラスの潜りをするが、カラーリングパターンは同じだから、生活の基礎パターンは比較的浅いのだろう。それくらいは鯨と生活しなくても思いやることが出来る。
光さす海に照らされる生き物達は上面の色が濃くなる。
銀色に輝くイワシやニシンも同系である。
おそらくこのカラーリングパターンは太陽の影響だろう。同じことを考えた人が過去にもいたはずだ。普段は注意深くしまいこまれている記憶の糸をたどると、いた。万学の祖アリストテレスが同じようなことを言っている。ウニをアリストテレスの灯りと言うように、あるいはイルカが魚類でなく哺乳類であることに気づいたように、この人は海に親しい人である。
万学の祖は海辺を毎度ふらふら歩いては漁師と親しく語っていたに違いない。
彼はイルカや鯨の寿命は25年から30年と推定しているが、これは恐らく、漁師の実体験を基礎にしているのだろう。漁師が良く見かけるご近所のようなイルカがいたはずである。
今から2300年以上前にそんなことを聞いて寿命は25から30年と記録に残すアリストテレスは大変人であったが、愛されていたことは間違いない。でなければ漁師はイルカの話をしたりもしないし、今にいたるもウニにその名前は残らないだろう。
ウニを熱心に調べるその姿を、漁師達は愛したに違いない。
彼は後年、後にアレクサンドロス大王になる少年に教えたが、その影響が大王の言動によく出ている気がする。彼は師のかわりに軍勢を率いて世界の果てを見に行っている。
時は今に戻る。
いやはや、2300年前と同じようなことに再び気づいているようでは精神的子孫と失格だなあと思いつつ、万学の祖を近くに感じた。
いや、さすがご先祖と俺はようにとるわ。
人類皆アリストテレスの精神的子孫である。変人は愛され、イスラム圏で文献保存され、翻訳されてヨーロッパに広まり、今に至る学問の基礎となっている。
この話のいいところは変人は宗教・時代を遙かに越えるというところで、キリスト教でもイスラム圏でも、もちろんリアルタイムであったギリシャ・ローマの神々の時代でも、アリストテレスの言葉や記録は可能な限り保存され、学問として繰り返し人に教えられていることである。この世のどんな宗教も、変人を罰する法は制定してないのだろう。これは頑迷で信心深い漁師達やその精神的子孫が、アリストテレスの心を後々まで守ったためと思われる。
おかげでアリストテレスの名を知らない人々もその太陽のような影響は受けているわけだ。
そうだ、今度、子供に何かを教える時があったなら、一人の大変人の話をしよう。
顔立ちは海法に近く、ふらふらさ迷うのは私に近く、まなざしは桝田のそれであり、不思議を不思議と思うのは、お前たちに良く似ていたと。
■芝村裕吏氏プロフィール:
バンダイグループの一社である株式会社ベック所属営業企画部次長岡本吉弘、バンダイ側正式呼称、2代目猛獣使いの猛獣として知られる、ゲームデザイナー。

「記号」 それは認識を誘発する形である。
そしてそれは、絵も、同じである。
違いは何か、知識の有無である。それをこれから、解説しよう。
人が物を見るとき、人は視覚から図形と色を取り出してこれを認識する。
要は、目で見ているというのは正確ではなく、正確には目で受け取った画像情報を脳が情報処理して、脳が”認識”する一連の作業であると、いえる。
いささかレトリックを用いれば、目ではなく、脳がものを見ている訳だ。
逆説的には、脳がそれと認識さえすれば、別にそれそのものでなくても良い。
この「それそのものではない」が絵であり、記号である。
別に写真(究極の写実)でなくても何なのか分る、と言うわけだ。
我々が美術的鑑賞をする上での絵は、この絵の「それそのものではない」ものを見て認識する機能を誤動作させて、絵を楽しんでいる。
つまり絵は究極の写実を離れても人に認識を与えるわけだから、絵が十分に良く出来ている(意図どおりに出来ていれば)作者の思うとおりの認識を与えることが出来る。
絵で脳の認識をコントロールしているわけである。これによって絵は、写実をある意味超える事が出来る。
例えば現実の女性には感じられない感じ(萌え)などを絵という表現であらわすことが出来るわけだ。
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この見て認識する機構を使った絵に対して記号は認識に特定の知識が必要なものを言う。
自然の認識、人のハードウェア的な自動認識ではなく、「知識」として「これはこう言うことを意味する」と覚えさせ、これを介して認識させることで、意味を伝えるわけだ。
直接ではない、間接認識と、言える。
絵と記号の違いは1つである。
すなわち認識を得るために記号は知識が必要になる。
言うなれば記号とは取り決められた暗号である。
見れば分かるものは、記号ではなく、絵である。このあたりの境界が、絵と記号を分けるもので、この境界線は具体的には見れば分る人の数や割合で、決定される。
複雑なことには統計を使うという数学ではよくやるアプローチを、普通にやっているわけだ。
一般に、絵は高度になるほど見れば分かるものから離れていくので、歴史的、発生的にはまず、絵があり、そのうちに記号が生まれたと推定される。
そう言う意味では絵が下手だから見れば分かるものから離れていくと、高度だから見れば分かるものから離れていく、は、現象的には見れば分かるものから離れていくという点で一致しており、素人には同じようにしか見えないと思われる。素人の笑い話、ピカソと素人の絵の比較は、現象に言えばその通りである。
イラストにおけるコンセプト・デザインはある概念を絵で表現するゆえに、記号と絵、双方に属しており、中でもより絵によせた表現を目指したものだといえる。
記号と絵の違いは”知識の必要の有無”、境界線は感想の統計で決まっている。
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絵と比較した場合の記号の強さは、情報の圧縮性にある。
絵は知識が要らない分だけ絵として沢山の情報量がいる。
記号は知識が必要だが、僅かな情報さえ、伝わればよい。
百+十=百十 のりんご
をリンゴの絵で表現しようとすると、莫大な手間がかかる。
これが記号の強さであり、良く使われる記号は我々に馴染み深い文字、数字などの字として表現される。
ある小説を素直に漫画にすると莫大なページ数が必要になるのは、この情報の圧縮性の問題であり、対して漫画にしたほうが分りやすくなるのはこの「知識の必要の有無」が影響している。
この辺、漫画で使われる最小限の記号化がない、連作イラスト集とかで物語を表現すると、漫画よりもはるかに枚数が必要になるだろう。そんなものを見るのはいいが時間がかかりすぎる可能性のほうが高い。
我々は有限の時間を生きているから、時間内の有用性だけで言えば、記号のほうがあふれているわけである。また、下手な人でも記号は書けるという、この平易さを無視してはならない。
このあたりは情報を圧縮するからいいとか、悪いとかではなく、どんな相手に何を伝えるのかが一番重要である。
■芝村裕吏氏プロフィール:
バンダイグループの一社である株式会社ベック所属営業企画部次長岡本吉弘、バンダイ側正式呼称、2代目猛獣使いの猛獣として知られる、ゲームデザイナー。

生きてて良かったと思う瞬間は、スリルを感じる時である。
自然と顔が笑っている。
そういう時は、客観的に言って、たいていとてもひどい状況だ。
だが仕事中、それも修羅場の私を見たことがある人は心から分るだろう。
私はそんなところでは上機嫌に心の中からリラックスしてのびのびと指揮をとれる。
覚えはないだろうか、皆が絶望のささやく時の私の優しい笑顔を、あれだけは作った表情でもなんでもない。私の本領、すなわちホームである。
と、ここまでは格好いいのだが、実体では平時では何のやる気もなくごろごろしている、つまらない男である。ゲーム以外は何をやっても長持ちしない。
昔、自分がいつまでも輝くにはどうしたらいいか紙に書いていったら、要するに数分に一回未知の事態が発生して多くの人間が悲鳴をあげている、一秒目を離せばついていけない、寿命が年単位で縮むような毎日だったということがある。ああ、一番快適に過ごせそうだと今でも疑ってないし、私はゲームというものでそれをいつも実践している。実際の生活でやってみたくもあるが、やったら幸せだが短い生涯になるだろう。
私にとってゲームは人生である。好んで好いたことは一度もないが、ことあるごとにゲームは必ず私を選んできた。私がゲームを選んだのではない、ゲームが私を選んだのだと、わたしがうそぶいているのを見た事がある人はおおかろう。あれは本心だ。
私がコレクション全部すてても2週間でゲームのほうが戻ってくるだろうし、私がゲーム以外の仕事しててもゲームが直ぐに追いかけてくるだろう。
偶然乗ったタクシーの運ちゃんが、祖母を送った葬儀場の人が、
「芝村さんのゲームを遊んでいます」
と密かに告白する。ゲーム作るorやるのはやめようと思っていた時はたいていこういうことが起きる。
転職を志したら5分でゲーム会社から連絡が来た。その10分後に出版社と商社が来た。
単にそれだけだ。どんな大きな企画で失敗しても2倍の規模で仕事が転がってくる。
運でも偶然でもなかろう。これらは私の人生がえらんだある意味の必然だ。
私に声をかけた人々は運などというもので動いているわけではない。だから私はこれを運命と認識している。
ゲームが私を見捨ててない限りは、両手両足縛られてダイナマイト150tの前にほおり出されても、私は生き残るだろう。そういうものだと極自然に信じられるほどには、私はゲームに好かれている。
ああ。嘘だった。人生で一回だけ、私がゲームを選んだことがあった。
仕事選ぶ時だ。あの時一回だけ、私はゲーム作りたいなと思ったのだった。
あの時からゲームは、けなげについてきている。
■芝村裕吏氏プロフィール:
バンダイグループの一社である株式会社ベック所属営業企画部次長岡本吉弘、バンダイ側正式呼称、2代目猛獣使いの猛獣として知られる、ゲームデザイナー。

戦車って何で大砲一個しかつけてないんですか?
と、ミリタリーとは縁遠い人にきかれる。
実のところ、長い戦車の歴史では多砲塔戦車もあったのだが、おおよそ第二次世界大戦序盤を境に、なくなった。
なくなった理由は簡単で。重量あたりの攻撃力・防御力・機動力が下がるからである。
戦車の能力は無線・夜戦能力をのぞくと攻撃力・防御力・機動力で決まるから、主要能力の大部分が多砲塔戦車では劣ることになったわけだ。
では、なんで攻撃力・防御力・機動力が下がるのか。
これまた簡単で、砲をつければつけるほど、その補機類、即ち弾薬庫、装填装置、駐退機、照準機、砲旋回装置、これらを守るための装甲がかさばり、スペースと重量を圧迫し、強度に影響を与え、(旋回のためのターレットリングは戦車で一番強度計算が大変になる)さらにそれらをカバーするため車体を大型化すると、機動性が下がり、下がる機動性を防御力でカバーしようとすると、さらに機動性が(以下略)
エンジンの出力が一定の時(変化がない時)、これらの理由でどうやっても同じエンジンである限り攻撃力・防御力・機動力が下がるのである。
ではエンジンを強力にするとどうかというと、そんなエンジンがあればさらに強力な単砲塔戦車が作れてしまう。結局同じ時代の産物である限りにおいて、多砲塔戦車はあまり意味がないのである。
とはいうものの、歴史には例外があり、例外としてアメリカが1940年に、事実上最後の多砲塔(?)戦車M3リー/グラントの開発を行っている。
M3は、日本軍とどっこいどっこいかそれ以下の戦車戦力だったアメリカが、ドイツを相手にするにあたって泥縄的にまとめた戦車である。ほんとに泥縄で、戦場にて敵に対抗する戦車がなくて急いで作る必要があるということで作った、緊急避難の設計であった。
アメリカ、こういう緊急デザインでは無類の天才的才能を見せる。
アメリカは本格的戦車(M4シャーマン)作る一方で、この戦車をストップギャップとして作り上げた。
多砲戦車になったのは、急いで作る上で仕方なかったせいである。
先ほど「旋回のためのターレットリングは戦車で一番強度計算が大変になる」と書いた。
これは開発期間に直接影響を与える。ご存知の通り、ドイツの(より先進的な)III号戦車がIV号戦車に主力の座を明け渡したのも、パンターの選定も、ターレットリングが理由だったりする。わが97式戦車が3式まで改良を繰り返せたのも、事の最初から(先見の明のある技術者が)ターレットリングを大きくつくっていたからである。
アメリカはターレットリングの設計もがんばれば出来たろうが、期間的にリスクが高すぎたことと、その(大きなターレットリングの)製造施設がなかったことから、M3についてはすっぱりあきらめて75㎜砲を車体にすえつけている。つまりは旋回式を諦めている。
もちろんこれでは運用柔軟性が大幅に劣るので、37㎜砲を申し訳なさそうに旋回式でくっつけている。多砲塔ならぬ多砲・単砲塔戦車である。
37㎜砲はちっこいので弾薬庫、装填装置、駐退機、照準機、砲旋回装置、これらを守るための装甲は最小になる。主砲の75㎜砲は砲旋回装置分で、重量を浮かしている。
これらの措置で多砲塔戦車の持つ、重量配分上の欠点を少しでも軽減しようとしている。涙ぐましい努力といえよう。
ないよりはあったほうがいいというのが、アメリカ式である。これはアメリカの兵器デザインの根幹と言える。
一方ドイツは、ないならないで運用でどうにかするという国である。
ドイツは同じような形式の突撃砲派生の戦車兵が運用する駆逐戦車を作ってるが、こちらは37㎜をつけようなどとは、考えていない。43年当時、軽砲の有用性をドイツ戦車士官がまったく期待してないのもあるが、それ以上に運用でどうにかしようと考えていたようである。
■芝村裕吏氏プロフィール:
バンダイグループの一社である株式会社ベック所属営業企画部次長岡本吉弘、バンダイ側正式呼称、2代目猛獣使いの猛獣として知られる、ゲームデザイナー。

「無限コンピュータ(ぽいもの)を手に入れたら、貴方はどうしますか?」
この質問に答えられる職業ゲームデザイナーは少ないだろう。職業ゲームデザイナーの仕事は夢を具現化することであって、夢を見ることではない。
私も夢を見ないが、それは別の理由による。
ではゲームデザイナーでない人間なら夢を見ることが出来るだろうか?
答えは出来るである。要は、ゲームデザイナーでなければ良い。
ここで芝村はモード変更。ゲームデザイナーからSF者に類別(アイドレス)を変更する。
心を切り替えられるのはいい事もある。たとえばこういうときだ。
私(SF者)の場合、無限コンピューターがあったら一杯やってみたいことがある。
一つは、医学的AIである。
今、我々がやっている論理AIではなく、例えば脳のシナプスの化学変化などを単純かつ医学事典的に動かすことで、AIを再現する。なんのことはない。人間の脳のコンピュータエミュレーションである。人間の脳、大脳の神経細胞数は約140億個だから、一台のPS3で1万個ほどの細胞がエミュレートできれば140万台程度のPS3接続で世界初のネット上にしか存在していない実存しない人間を存在させることが出来る。
あと60万台あれば身体感覚も擬似再現できる出来るだろう。
我々200万のユーザーはPS3の電源をつけて電力と計算力を差し出し、結果としてネット上にしか存在しない人間をはじめて見ることになる。
もう一つは人工生命実験である。PS3の1台につき、2km×2km×2kmのエリアとして海洋、あるいは大陸を分散処理し、生命の進化問題に一定の決着をつけてやりたい。
今、死にそうになっているダーウェニズムに決着をつけるのは我々であると、言ってみたい。
ああ。もちろん人助けもしてみたい。台風や津波などの速報が来たらPS3の電源をつけて電力と計算力を差し出し、進路推定を手伝うのである。
世界で一番計算力を使っているのは台風の進路予想であり、このバックアップに我々が参加すれば、本当にいくつもの悲しみを事前に阻止できるだろう。
うぉぉぉ、やってみたいことが一杯だ。さすがPS3。
アイデアが次々に浮かぶ。
新型飛行機の風洞シミュレーションが出来るだろう。我々が計算力を分担して提供する形になれば我々は色々な大学で研究している鳥の人たちを手伝えるだろう。飛んだ物のムービーを見て手を叩いて乾杯することも出来る。
同様に耐震シミュレーションも出来るだろう。今よりもっと安価に計算できるなら、今以上にユニークで目を楽しませる家々が出来るかもしれない。あるいは今解体の危機にある京都の古い家屋たちを助ける手助けが出来るかもしれない。
計算力とそれを好きな事に差し出すメニュー画面があれば、我々は色々なことで遊ぶことが出来る。今日は難病の治療を手伝い、明日は人工生命の誕生を祝う。それが出来ることは、それはそれで、立派なゲームだ。
ゲームは勝敗が発生し、対戦相手が存在し、ルールがあれば成立する。敵は現実であり、勝利は変革、ルールは一つ。計算力を誰に託すかだ。
夜中、NHKをぼんやり見ていると台風の情報がでており、私はあわててPS3のメニュー画面から台風予測手伝いとあるものを選択する。そんなゲームもありだろう。
社会的善意投資、あるいは形を変えた寄付システムの構築を全面に打ち出せば、PS3は善なる改革のシステムとして存在しうる。これまで私と私を支えるユーザー達がやってきた、大規模ゲームのノウハウを転用した、そういうものだ。
こういう普通のゲームデザイナーから見るとぶっとんだ発想が出来るPS3対応ゲームデザイナーが増えれば、PS3は改善されうる。
そして次回はもっともっと現実的なPS3ゲームを考えてみよう。さっきのだってウルトラ簡単だが、まあ、もっと普通ぽいゲームがあってもいいよね。
■芝村裕吏氏プロフィール:
バンダイグループの一社である株式会社ベック所属営業企画部次長岡本吉弘、バンダイ側正式呼称、2代目猛獣使いの猛獣として知られる、ゲームデザイナー。

我が家のPS3が大ピンチである。
具体的にいうとXboxしか遊んでない。
もっともこれは、私に限らない全国的な話だろう。面白いソフトはXboxにこそ多い。
そして私が手がけてないハードで唯一残っているのがXbox 360なゲームである。(あ、アナログゲームだとゲームブックをまだ作ってないけど、そっちは来年にもやります)
目指せ、全てのハード・全ジャンル(しかも管理職としてではなく、ゲームデザイナーとしての参加)である。
ということで、Xboxで仕事させようという人がいたらベックにご連絡ください。
一方、Wiiである。
現状、Wiiは客が来た時だけ、やってる。というか、このハード、出た時はすんごい喜んだのだが、真面目にスコアメイキングを目指すと、中年にはつらい。逆転の発想でWiiはダイエット効果をもっとうたうべきではないかと思った。私は5kgくらいマジで痩せた。
あ。色んなゲームのスコアは結構伸びました。人間やってみるもんだ。
Wii、遊びたいゲームは色々あるのだが、具体的に言うと手首と肘がそこまで持たないのが現状だ。いや、私がコントローラー振り回しすぎだけど(笑)
Wiiのゲームをチェックしている部門を見たら、皆が突っ伏して手首の先を微妙に振りながら遊びつつ、「これが一番疲れないんです」といわれたときはいまやデバッカーも肘の調子を考えないといけない時代が来たなと、妙なことを思った。
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そして本題。PS3である。
身びいきで申し訳ないがPS3はいまだ、実力を発揮しているとはいいがたい。
PS3という高性能計算機の本領は他機との接続を行うことで計算能力を寄り向上させることにある。単機能力では、このハードの本領はまったく発揮されていない。
また、決して画像処理能力がどうこうがこの機の自慢でもないし、それがセールスポイントというわけでもない。一時的にアメリカ人は騙せると思うが、おそらくそれだけだろう。
計算機の本義は計算力にあり、この点、無数の他機との接続を行ったPS3は、よくコンピューターサイエンスの思考実験上に存在する無限コンピューターに近いものがある。
というか、距離的には無限コンピューターのほうが、ずっと近い。(※)
ある制限下でその最高のパフォーマンスを狙うという、これまでの考え方からはがらりと変えたほうが、うまくいくだろう。
この点で、つまり発想の基礎の段階で、PS3は既存と隔絶しており、パラダイムシフトを使い手(製作者)に要求している。
無限コンピューター上のプログラムは、パフォーマンスよりも可読性に優れて信頼性や継承性が高ければいいわけだ。なんのことはない、学校で教えるような(あるいはハッカーの独り言の中でだけ存在する)プログラムを書けばいい。所謂今風だ。
それらをやってもなお、計算力は相対的無尽蔵に存在する。
他機との接続を前提にする限り、足りなければPS3を増やしていけばいいのだ。
わずかPS3、100万台と1昼夜あれば、コンシューマーというレベルでは到底考え付かなかった計算力を得られる。3000万機接続された場合の1日あたりの計算力は我々の想像も越える。
この相対的無限に近い計算力をどうエンターテイメントに使うか。実にここがPS3の企画上の一つのテーマである。
注釈:
>というか、距離的には無限コンピューターのほうが、ずっと近い。
これは、既存の見方で言えば、PS3はこれまでのゲーム作りのパラダイム上で分類すると、PS1やPSPに遙かに劣る。開発コスト的によろしくなさすぎるのである。
コストが高いので冒険できず、必然的にどっかで見たようなゲームばかりになる。
続編だらけになるというわけだ。
“どっかで見たようなゲームばっかりじゃないか”
あるハード会社のお偉いさんがそう悲嘆にくれていたりするが、ハード性能が線形に伸びても、運用や開発は線形に伸びない。この辺は特異点越があるわけで、それこそ全てのタイトルとジャンルを微分してみればはっきり分る。(愚痴言うくらいなら微分するべきである)
■芝村裕吏氏プロフィール:
バンダイグループの一社である株式会社ベック所属営業企画部次長岡本吉弘、バンダイ側正式呼称、2代目猛獣使いの猛獣として知られる、ゲームデザイナー。

カエルに彼女を取られましたという人生相談を受けて、絶句する。
普通なら大爆笑するところだが、相手は真剣だった。
笑ってはいけないと思いながら、目は嘘つけないでいる。思うに、爆笑できる部分が、私がストレスに強い理由ではなかろうか。バカな事をバカと言わないと、多分ストレスだろう。
人間には色々あるなあと、思った。私は猫科の生き物なので、良く分からない。
その彼女、ツボカビ症対策で大変だそうである。
立派な話じゃないかと言ったら、BSL3で云々と説明を受ける。
BSLってなんじゃろ。と思った後、え? と思った。
BSL=バイオセーフティレベル。ゲームではない現実のバイオハザードを防ぐレベルである。
脳内検索。 4年前の読売新聞から記事発見。その時食べていた朝食の味を思い出しつつ、BSLには4レベルあって、炭素菌などの生物兵器に使われるものがレベル4。国内でレベル4に対応する施設は1箇所しかないが、その一箇所が近隣の住民の反対があって、レベル3相当で運用していると言うことを思い出した。
ちなみにその日の朝食はヨーグルトが入ったオムレツである。
え。ツボカビ症って蛙の病気じゃないのと、思った。
ツボカビ自体は昔顕微鏡に凝ってた頃にかわいいクマムシと共に眺めて遊んでいたものである。
精子に良く似ていて、生き物としての人間との系譜を感じさせる生き物だった気がする。
WWFのホームページを見ると、確かに蛙の病気である。
BSLと対応種族にはあまり関係ないようである。いい話だと思ったが、その後の緊急警告から並ぶボランティア団体の数に驚いて、リンクをたどって英語サイトでその地球環境へのダメージを見て、驚いた。世界の危機を感じる。
熊本、芝村家の近くには田圃が多く、ゲコゲコ6月になれば聞こえるし、7月はかじかがニャロニャロニャロと鳴く。犬が私をつれて散歩していると、良く足を止めて聞き入っていたことを思い出した。冬にはたまに冬眠中の蛙を見つけて埋め戻すこともある。
ありていに言って、お隣さんである。別段親しいわけではないが、小学生の頃、夜の自動販売機の前ででっかいウシガエルが飛んでくる蟲を長い舌で食べているのを見て、感動してこっち、心情的には蛙よりであったことを思い出した。忘恩であろう。記憶力が良くても、それを感じる感性が摩滅していると魔術師失格である。魔術の第一歩は莫大な知識と、圧倒的行動力と、そして少しの素直である。どれだけ物を知っていても子供のように鼻息を吐けることが、重要だ。反省し、感性を呼び戻そうと思う。
丸善で書籍を買ってきて読む。洋書である。ツボカビ症単独の本は、日本にはない。
読みながら、くだんの相談者には悪いが、これはいかんなと思う。色々な人が蛙を護らなければならない段階に移行している気がする。
世界の両生類種の3割が、既に滅亡している。
北から南までのアメリカ大陸。オーストラリアで、もう蛙の声を聞くことが出来ない。
そんなものが、日本に上陸をはじめている。
たしかに文句なくBSL3である。
■芝村裕吏氏プロフィール:
バンダイグループの一社である株式会社ベック所属営業企画部次長岡本吉弘、バンダイ側正式呼称、2代目猛獣使いの猛獣として知られる、ゲームデザイナー。

●カレーに至る病
時々、カレーを食べたい病にかかる時がある。
ここ数日がそうで、近年ないほどの重病であった。
4日で三回カレーを食べている。
日本風のカレーを食べるとインドカレーが食べたくなり、インドカレーを食べると欧風カレーが食べたくなるのだった。要するにマイブームである。
で、そんなカレーブームの中でうまいと思ったのがサムラートである。都内には何店舗かあるようだ。ここでマトンカレー+バターナン+ビールがあれば、手軽に幸せになれる気がする。カレー好き限定だが。
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●微妙に要らない
どうでも良い話ながら、某カードのポイントが、8000点を越えた。
そして失効する事になった。失効するのは3000点ほどであり、しょうがないので交換する事にした。
結論から言うと、この時点で微妙に要らないものではあった。
で、商品を見る。中々に立派なカタログである。色々あって、面白い。ヘリコプターに5分乗ったり、雑誌の定期購読があったりと、あれやこれやのアイテム揃いである。ディナーとかホテルの宿泊もあったが、あいにくそんな仲の人も、いなかった。
で。
とりあえず、3000点の買い物である。読んで面白がるだけではいけない。そもそもにして必要なものは既に購入しており、しかるに交換するといえば、別に必要でないものばかりであった。
そう、微妙に要らないのである。でも失効はもったいない。
失効まであと数時間。あせる。
あわてて、まずラジオ+LEDライト手回し式充電器を買った。私の家にはTVも何もないので、これでニュースを聞こうと思った。
続いて、腕時計を買った。腕時計をなくしていたので願ったりかなったりだった。
最後に万年筆を買った。パイロットの定価2万円しない、安物であった。
万年筆は国産の場合、2万円オーバーからぐっと良くなり、3万円でほぼ完璧になる。そこから先は趣味の領域らしい。
もっとも私はそんなこと言えるほど万年筆を持ってるわけでもなく、以上のは某大型文具店の店員の受け売りである。
アイテム名はキャップレス。モンブランくさい物ばかりの日本製万年筆の中で、一際ぶっとんだデザインしているアイテムであった。それが、4月末のことである。
そして、5月24日。何もかも良い感じに忘れた頃にそれが送られてきた。
1.ラジオを5分聴くたびにハンドルを廻して充電……大敗
2.腕が太すぎてはまらず。そもそも女物ぽい…………大敗
3.この万年筆が重すぎて、使いこなせず………………大敗
見事に全滅である。やはりカタログで商品を買うにはそれなりの修行が必要そうであった。適当に物を見ただけではようわからんのである。
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●芝村の逆襲
前回微妙なアイテムを3つもつかんでいた芝村であったが、当然、負けっぱなしも癪なので(そしてハンドルまわすのにも飽きたので)対策することにした。
とりあえずラジオはヒートナイフで外装切ってダイナモ充電なニッカド電池以外もOKなように配線をいじって電池ボックスを取り付けた。
時計は人に押し付けることにして、重いペンについては、持ち方を変える事で対処する。
連続2000文字は書けるようになった。時間にすると1時間というところで、ちょっとした日常業務くらいは出来るというものだ。
最もこの重い万年筆ことキャップレス。金ぴかで私の普段の格好(そして例外などはない)には到底似つかわしくなく、普段は安っぽいがなかなか好きなデザインのLAMYサファリを使うことにしている。
で、このサファリ。インクに重い万年筆ことキャップレスと同じパイロットのブルーブラックを使っているのだが、使って3日目くらいですでに純正インクのロイアルブルーの美しさを思い出して、がっかりしている。
ボトルインクを買ってこよう。あ。どうせ買うならフランスのエルバン製でもいいな。
香り付きのインクで手紙でも書いたら面白かろう。
送る先がないんでアレだが。
■芝村裕吏氏プロフィール:
バンダイグループの一社である株式会社ベック所属営業企画部次長岡本吉弘、バンダイ側正式呼称、2代目猛獣使いの猛獣として知られる、ゲームデザイナー。

日々が退屈な時、貴方はどうするだろうか?
ゲームをする? 正解である。
が、その正解が選べないときもある。仕事時間というのがそれで、まったくどうしようもなく時間が過ぎるのを待たねばならない時もある。
ゲーム業界にいる私なんかにしてもそうで、まあ、退屈でしょうがない人も、年に1、2時間はある。
こういう時、みなさんはどうしているだろう。私の場合は仕事に見せかけた遊びをすることにしている。
面白文具である。
気分はバトエンである。
というか、男の考えのあさはかさたるや、小学生と寸分変わらないのかも知れぬ。
単にそれが、もっとお金のかかるものになっている点が違うだけだ。
最近のゲーム業界、私の周囲だと万年筆がそれである。
PCに囲まれているくせに、なぜかあえてそんな道具を買って喜んでいる人が出ている。
他の業界では数年前から万年筆が売れていたらしいが、そこから遅れること数年だったらしい。
というか。そもそも万年筆、普段使うボールペンとかシャープペンシル(社会人になるとあんまり使わないのだろうが、ゲーム業界ではシャーペン使いは多い)と比べると整備に手間隙がかかり、たまに洗浄したりしなければならない。そもそも毎日使わないと調子が悪くなる。
ああ。もちろんそういう手間を楽しむのだ。この万年筆と言う物は。
まさに道楽であって(常人から見ると)なんでまたそんなことをという、そんな感じである。
人気は、国産物の3万円クラスだ。
それまで百均の文房具で十分と言っていた人が突然百万円の蒔絵万年筆を持っていてうげぇと思うことがある。上が百万たぁ、この道、深い。
(教えられるまで価値がわかりませんでした。てへ)
万年筆。
たくさん書くにはこれしかないアイテムである。ボールペンでは筆圧高すぎて一杯書くには手が疲れる。
そんな便利な道具であるのはまあ、わかってはいるのだが、みなさん、ご存知の通り、私は重度のPDA使いで、紙の手帳はPDAの電池が切れたり太陽の下で液晶が見えにくかったり目が疲れていたい時にくらいにしか使わない。
(だってテキストおこし、大変なんだもん)
このせいで、あと前に作家ごっこしようと浴衣と原稿用紙と一緒に買った6万円くらいのやつをすぐ飽きてどっかにやってしまったこともあり、私自身はブームに乗り遅れた感じで、その周囲をうろちょろしている感じである。
くやしくないぞ。全然くやしくないぞ。あ、でも里見さんか谷口さんが手を出したら俺も買おう。
そんな私は、ハイスクールの時代から右に廻すとボールペンなシャーボと、プラマンを愛用している。プラマンも210円のだっさい方が大好きで、これでサイン書かれたファンも多かろう。とにかく書きやすいアイテムで、私はこれを、ひどく気に入っている。
なお、この原稿の下書きは慣れない安万年筆1,050円と「セーラー万年筆」脅威の傑作『ふでDEまんねん』でかかれた。
『ふでDEまんねん』は大変優秀というか、妙な書き味があり、私はこの万年筆というか、ペン先も大好きである。14金でこれくらいのペン先が欲しいけど注文したら作ってくれるのかな。このペンを先日一緒に呑み言ったときに教えてくれたアルファ・システムの佐々木社長に感謝するものである。
というか、熊本までブームが!
■芝村裕吏氏プロフィール:
バンダイグループの一社である株式会社ベック所属営業企画部次長岡本吉弘、バンダイ側正式呼称、2代目猛獣使いの猛獣として知られる、ゲームデザイナー。

【その面白さ】
組織戦の面白さは一人で出来ないあんなことやこんなことを、簡単かつ高速にやっつけてしまえることにある。
逆に言えば一人で出来る範囲の仕事しかしない人、数名がかりでやるより一人でやったが早いという人には組織戦は、なんの意味もない。
言い方を変えればこうだ。
組織戦のメリットを実感したければ、どうやっても自分では出来そうもない、大きな仕事を劇高速で引き受け、実行するに限る。出来ないことが出来る実感を持てばその人は組織のメリットを認識して仕事をすることが出来る。その認識こそが組織の組織たる第一歩である。
重要なことは、できれば組織の人員みんなに、組織のメリットと面白さを完全かつ完璧に教え込むことである。教え込めばその人間は組織戦信奉者になる。
強い組織、新しいことをやってのける組織、不可能をひっくり返す組織、高速組織を作る第一歩は組織戦信奉者によって組織を構成することである。
まったく当たり前のように見えるかも知れないが、バカにする前に自分の属する組織を省みていただきたい。そこは組織戦信奉者の集まりだろうか?
西洋では組織戦信奉者をエリートという。
優秀だからエリートなのではない。組織戦信奉者だからエリートである。
だから、豚のようなゲーリングもエリートたりえる。
学校で言えば、その学校に属するメリットを良く知り、その学校で教育を受ける面白さを完璧に教え込まれた人間はエリートとしかいいようがない。成績を問わず、まずエリートで組織を構成すればそれだけで組織は最善に近くなる。
徴兵(強制徴用)より自由意志で集まった人間を部隊を編成したほうが、あからさまに強いのはそういう理由がある。自発参加する程度にはメリットを良く理解している、それだけでエリートの素養があるわけだ。徴兵のメリットは打撃を受けた場合の打たれ強さにしかない。
重要:組織ではエリートを作れ、エリートを集めろ。
組織戦信奉者を作るいい方法がある。それは優秀で劇的な上の仕事のやり方を実際に見せることである。極めて優秀な指揮官の手元で、数日劇的な仕事を見学させれば、(そして暇つぶしにお前ならどうすると? と指揮官に尋ねられれば)その人物は十中八九、熱心な組織戦信奉者になる。
劇的な効能を最初に見せることが重要だ。
極めて優秀な指揮官には、登用するにあたっていくつもメリットがある。その最初の一歩はそのカリスマで組織戦信奉者を量産することにある。人間はその脳の構造上、力を信仰する。極めて優秀な指揮官は力を存分に発揮させることで信仰を現出させる。
重要:優秀な指揮官はその魅力でエリートを自動量産させる機能を持つ
優秀な指揮官が何よりも欲しがられるのはこれらの絶大なメリットがあるためである。
もちろん、極めて優秀な指揮官などこの世にはいないから、それにどれだけ普通の指揮官が近づけるかが、実際上での戦闘を左右する。
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【才能部分と作業部分】
組織で一番重要なのは組織でない部分である。
組織は基本として数の力で物事を解決するが、数ではどうにもならない部分がある。
それはアイデアや品質などの才能部分である。
才能部分と数で解決する部分(作業部分)の融合、これが一番重要なところだ。
組織とは畢竟(ひっきょう)、組織ではない部分である才能部分と作業部分をどう上手く融合させるかにつきる。
うまいものをつくると天才が量産されたように動くのが組織や技術の本質である。
技術とはある才能部分を普通の人が使えるようにノウハウや仕組みによって作ったものであり、言い方を替えれば才能部分のある人間が技術の原型を作り、誰かがそれを技術化し、最後に組織がそれを受け取って運用するものであると言える。
組織学研究者は才能部分と作業部分のブレンド比率や分担のシステムを長年研究してきた。
目下、もっとも良いと言われている(実戦証明されている)のは才能部分1に対して作業部分100である。
天才とそれ以外の比率は1:100の比率である。
実際において才能部分の出来不出来で比率は変わってもいいように思えるが、極値の場合、これが一番良いとされている。
極値とはこの場合、”考えられる最高の才能を持つ人間”となる。
その業界で文句なく最高クラスの才能があれば1:100比率で持つべきだ、というわけだ。
問題は業界で文句なく最高クラスの才能などというものは、そうそう転がってないことにあり、そして2番手や3番手くらいのレベルの才能を持つ場合での最高のブレンド比率がまだ良く分かってないことだ。
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【才能部分は潰しあう】
才能部分は同じジャンルで運用する限り、コンフリクト【conflict】する。才能を同一技術と言い換えれば分るが、互いに同じものにアクセスするので簡単に相互干渉(衝突)して正確な動きを妨げる。
多くの組織ではこれが人材排除の直接的な動機になる。
組織デザインでの重要なことは、コンフリクトしないような編成と配置である。
一番簡単なのは才能がかぶる人材をおかないことである。一つの地上に太陽は一つでよい。
それ以外にも解決法はいくつもある。シェアリング、すなわち、専門化して隣には口をださないことでコンフリクトを回避することだ。これは組織のことを考えて結構個人でやっている人も多かろう。
また人間性に優れた人間がいればコンフリクトしないように緩衝材となって、似通った才能部分が複数あっても絶妙の立ち位置をもたせることでカバーできるとしている。
この優れた人間性が戦争指導に極度に出た例としてはドワイト・D・アイゼンハワー(Dwight David Eisenhower)の例がある。
彼の高い(文句なく世界最高の人間性)がなければ連合軍は欧州で負けないにしても、もっとひどい損害をだしていただろう。
どんな才能よりも笑顔の素敵な無能人が他を圧倒して重要な存在になるときがある。
才能が似通った人材が複数いて切ることが忍びないなら、貴方のドワイトを用いることだ。
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【毒を薄める】
1対100というのは言い換えればいかに才能部分は組織に対して毒をもっているか、ということになる。
毒を薄めるには100倍に薄めないと駄目だというわけである。
なまじっか才能部分の数が多いと大変な事になりそうなのは、第二次世界大戦を見るまでもなく少し考えてみればわかるのだが、
稀に才能部分をたくさん入れて自家中毒になっている会社もある。どことは言わないが、思い当たる部分があるなら大リストラを開始したほうがいい。
組織戦において才能部分はわずかでいい。
少しだけ協調性の高い、組織を信奉する普通でただの人間を主力にして構成するこそが組織での最強布陣である。
■芝村裕吏氏プロフィール:
バンダイグループの一社である株式会社ベック所属営業企画部次長岡本吉弘、バンダイ側正式呼称、2代目猛獣使いの猛獣として知られる、ゲームデザイナー。

○システム手帳は手帳としては万能に近い
システム手帳は人類が紙に関連する発明の中では比較的最近でかつ、もっとも大きな発明である。
自分で編集できるというノートというのは、実はそれだけで絶大な運用価値がある。
運用柔軟性はそれだけで大きなアドバンテージなのだ。
例えば絵描きなら全部のページを自由帳、すなわち無地に出来る。
例えば全部を年間スケジュールにして一生予定を描くことも出来る。
例えば全部を罫線にして普通のノートとして扱える。
例えば全部をアドレス帳にあてて、完全なアドレス帳として運用できる。
これらは手帳として出来る範囲内でシステム手帳は万能であることを意味する。
なんのことはない、自在に、貴方に一番あうシステム手帳を作ることが出来るというわけだ。
人により、状況により、システム手帳は内部のリフィルを入れ替えることで別の手帳として運用できる。書き損じてもページを抜き取ればいい。1ページ当たりにたくさんか数に項目1個と決めてかかれば、そう言う芸当が出来る。
○駄目な使い方 なんでも挟む
昔、システム手帳の使い方が良く分からなかった頃になんでも挟んで万能手帳として使っていた人がいたが、これは今では少なくなった。
これは、機動性、検索性、メンテナンス性が悪く、PDAや携帯電話と組み合わせて使う以上、万能性にこだわる必要があまりなくなったことによる。
今でもなんでも挟んでいるのは単にぐーたらなだけである。
やめたほうがいい。今の時代は昔とは違う。今のシステム手帳運用による生産性は昔とは比べ物にならない。
古いシステム手帳は一旦解体して再構築したほうがいい。
簡単なチェック項目を以下に書いておく。
・チェック項目
×地図、路線図、時刻表→携帯の有料サービス(ナビタイムなら210円)のほうがいい。リストラ候補
×名刺入れ →本当に必要なものは携帯のデータに入っているはず、全部リストラすべし。極必要な一部だけアドレス帳に書き写せ
×過去の記録、メモ →今日使う、もしくは3日以内に使うもの以外は全部不要。リストラすべし。
×領収書入れ、カード入れ→財布を使うか、財布をリストラして統合すべし。小銭入れだけ別に持て
×辞書 →PDAを使うか電子辞書を買え リストラ必須
×過去のスケジュール表→さっさとバインダーへしまえ
これだけやったらすっきりスリムになるはず。そしてそれでも、全然困らないはずだ。
まずはそこからやり直そう。これを期に外装を軽くスリムにしてもいい。
○高度な使い方 組み合わせマジック
システム手帳はブロックごとにページの束を持つだけでなく、1ページ単位で組み合わせることが出来る。
これを利用すれば作業順番にあわせたシステム手帳を組める。
例えば芝村の手帳の場合
・達成すべき目的
・年間スケジュール
・月間スケジュール
・週間スケジュール
・デイリーメモ
が1Pごとに並んでいる。
達成すべき目的(プロジェクト)、年の大きな計画、月のアポポイント、マイルストーン、週では日々の時間運用が書かれている。デイリーメモは単なる白紙だ。それぞれに上部計画への関連が書いてある。
この方式の一番いいのは大から小への流れが出来ていることで、自分の今の作業が年計画にどのような影響を与えるのかがわかり、常に一本筋を通して動くことが出来る。
その日が終わったらデイリーメモは原則破棄(必要な一部だけ清書して保存)し、週や月が替われば週のデータは破棄されて月データのみ、別バインダーにしまっている。
例1-2:
ガンパレード・XXXという仮のプロジェクトがある
ノートを見るとこうある。
・目的 ガンパレード・XXXを作る。
・年間計画 4月 全体設計……
・月間計画 4月1日~10日 フロー作成 11日から15日が戦闘設計……
・週間計画 4月1日~7日 月曜、ゲームのモックアップ作成 火曜、パーツわけ ……
・デイリーメモ 4月1日 エイプリルフール。ぜくうに騙される
詳細なスケジュールが組めないという人もいるが、1日や2日のスケジュールは組めるし、大まかなスケジュールも普通は組める。全体像から大雑把に作業分割して絞っていくことで実はスケジュール(これくらいにあがってないとまずい計画)は、簡単に割り出せる。
2分割を3回すれば8分割。4回なら16分割だ。
もちろん、遠い先々の話までしてもしょうがない。当面、週ごとに計画があれば(それ以外は大雑把でも)十分だ。
部下がいる場合は、部下への仕事の割りふりもスケジュールに書くといい。
(管理する時間が十分にあれば)自分のスケジュール表だけでなく、チームや部下、ラインの複数のスケジュール表を管理することも出来る。
その場合でもシステム手帳は絶大な効果を発揮する。別に仕切り(インデックス)をつけて同じようなスケジュール表を挟み込めばいいだけだ。
これがコンピューター管理だったりすると大変で、PCだと基本的にデスク前に座り続けてないと管理できないはめになる。 コピーして壁に貼ったり部下に渡したり上司に提出したりもできるので、紙のほうが使い勝手はかなりいい。
○でも俺には管理すべきスケジュールがないんだよ
そんな理由をつけてスケジュールをつけない人もいるが、これは間違い。
スケジュールというのは人に言われてやるものではない。本来は自分のやりたいことをここまでにやろうと決めて動くためのものである。やらなければならないことをメモするというのはあくまで防御的、後ろ向きな使い方でスケジュールの正しい使い方は単なる夢を夢で終わらせないための具体性を持たせるところになる。
例1-4:
芝村の個人プロダクトが仮にある。
ノートを見るとこうある。
・目的 47都道府県全部で飲み会を挙行する
・年間計画 11月 東北ブロック制圧
・月間計画 11月11日 山形 11月18日 宮城
・週間計画 11月3日~10日 月曜、有給申請、火曜、残業2時間で土曜分を稼ぐ。
・デイリーメモ 11月5日 関東で飲み会しないのとE岡さんに言われる。そっちは12月だ。
芝村が伝説の飲み屋と言われたりするのは綿密で高い計画性あってのことである。
■芝村裕吏氏プロフィール:
バンダイグループの一社である株式会社ベック所属営業企画部次長岡本吉弘、バンダイ側正式呼称、2代目猛獣使いの猛獣として知られる、ゲームデザイナー。

組織において良く起きる間違いは優秀な人間を入れれば組織も優秀になるということである。
また一つの決まった傾向をいれることで組織が改善されると考えている者もいる。
大きな勘違いである。
組織というものは本来、そんなに低レベルで理解運用できるものでもない。
一人の人間では出来ないことをやるものが組織の本質なら、組織は機能的に人に置き換わるものであり、人の機能は極めて複雑で精妙なものである。
それを代替するものも、極めて複雑であるべきである。
たとえばお父さんだけしかいない家庭を想像してもらいたい。
親父しかいない時点で、普通に考えれば家庭と言う役割を果たす組織としては崩壊している。親父がどれだけ仕事面で優秀でも、あまり意味はない。仕事が出来るから日曜は駄目親父でいいんだという親父は親父失格である。
では会社ではどうだろう。同じタイプの優秀なサラリーマンを並べた組織は強いだろうか?
答えは否である。事務もあれば各種の専門家もあって管理の人間がいて成立するのが会社である。それぞれにおいて優秀なサラリーマンの定義は異なり、たとえば事務は不得意でもプログラマとして優秀なら、プログラマの仕事を専任させる間は問題にはならない。
一方専任させる前提で言えば事務も出来るがプログラマとしてはそこそこの人間は、先の人物より評価は低くなるだろう。
では、全部が万能なサラリーマンを集めるとどうなるだろうか。
答えは簡単、支払う給料が高くなる。それほど払えないのならさっさと転職されてしまうだろう。
いい人材を揃えれば勝利する。
愚かな発想である。
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究極的に話を推し進めると、組織においては組織が必要とする人材が必要なのであって、優秀な人材とはその組織ごとの基準による。
組織ごとの基準に沿えば、どんな人間も優秀になりえる。
正義感だけ強い未経験者、小うるさいだけの老人、かわいいだけがとりえの女の子、これらはすべて、ある局面では他のあらゆる人材をさしおいて組織の最優秀になりうる。
力はあって頭もいいが思考の迷路に入っている経営者の傍に正義感だけ強い未経験者がいれば、どうだろう。
才能はあるがうかつな人のそばに小うるさいだけの老人がいたらどうだろう。
女性にはいいところを見せようとがんばるプログラマの傍に、かわいいだけがとりえの女の子がいたら?
人と人の組み合わせが組織である。組織の正解はそんなに単純ではない。
入れるだけ入れて組み合わせの妙に配慮を示さない上司は駄目上司であり、存在意義がないと言える。昔からそれを数合わせという。
人間にはそれぞれ特徴がある。組織の真髄はその組み合わせによってその能力を存分に引き出し、1+1=2以上の成績をあげることによる。これから何度も繰り返すことになる言葉を使えば、組織は足し算ではない。掛け算だ。
久保雄一郎が駄目人間を相手にする間は誰もがあこがれる名編集になれるように、海法紀光が全員が凍るような予想外の局面で誰よりも迅速に動けるように、佐々木哲哉が大損する局面では日本を代表する素敵な社長をやるように、チャレンジをしようとする永野英太郎が不撓不屈であるように。
組織の肝要は人の組み合わせであり、また状況の設定である。最良の組み合わせで最高の舞台を用意できれば組織は最善の結果を出す。
個人として改善しようと努力するのはいい、別のものに変わろうという努力もいいだろう。だが組織の本質は人を変えることではない。それには常にコストがかかる。コストは安いほうがいいと普通に考えれば、組織は可能な限り人を変えないほうがいい。
組織がやるのはこうだ。
組織は人を選び、組織は人を組み合わせ、組織は状況を設定する。
この文章を読む貴方は選ばれているという自覚はあるだろうか。貴方は良い組み合わせを与えられているだろうか。貴方のたつ舞台は最善だろうか。
■芝村裕吏氏プロフィール:
バンダイグループの一社である株式会社ベック所属営業企画部次長岡本吉弘、バンダイ側正式呼称、2代目猛獣使いの猛獣として知られる、ゲームデザイナー。

真剣に聞き入る学生たちであふれる会場。
メディアワークスの紹介で、アミューズメント総合学院と言うところでトークというか、対談みたいなことをする。聞き手は第一編集部の江口さんだった。
ゲーム志望といえば順当に行けば私の後輩や部下や上司、あるいは仲間になったりする人なので、粗略には扱えないなということで、実戦に即した現実の話をする。
ここから先は夢の話ではない。現実の話です。
そういった後で、聞けば人の魂が凍えるような、ただ本当に戦おうという人には有用な、そんな話を開始する。
現実というものは大抵ひどく痛くて、覚悟のない人間が聞くと萎縮してしまう。
その上で目を逸らさない人間だけが、夢物語を人に語ることが出来る。ありえないことをさもあることのように、語ることが許される。そういうものだ。現実というものは。
冗談なし、面白トークもない。会場誰も笑わない。
メモだけは熱心にとられる、そんなトークをする。
こりゃ、もう二度と呼ばれんだろうなあと心の中で苦笑いするが、せめて一人ぐらいは、宣伝も自慢も抜きで血となるものを教えたいと思いながら話をする。
そこに道義はなく、ただ勝つためにはどうしたらいいかという、ただそれだけの話である。
重要な事は、自分の成功例を語ることではない。
自分の成功例は一例でしかない。100人いれば100の成功がある。
重要なのは100の成功を生み出せるその原泉、柔軟な思考とそのための考え方を教えることである。もちろんそんなことを人に教えることは出来ない。
だが、嘘をつかないことは、誠実になることだけは出来る。
無駄な事を教えないことと、ここは真似するなというのは重要なことだと思う。
過去から人が学んで役に立つのは眼差しだけである。
技術はすぐに陳腐化する。今私が教えたことを2年先にもっていってもなんの役にも立たないだろう。だが何を目指していたかは、そうそう変わるものではない。失敗の原因も本質的には変わらない。そういうのは驚くほど似る。
例えば東京消防庁の標語。
・明治後期 : ポンプ百より用心一つ
・大正末期 : 不意の地震にふだんの備え
・昭和5年 : 寸時の不注意 百萬の損
・昭和11年 : くる日も くる日も防火デー
・平成12年
: 火の始末 その目 その手で もう一度
こんな感じである。
まあ、きちんとは調べてないが江戸期でもあまり違いはないだろう。
防火とは言い換えれば失敗に対する事前対策である。
上5つを見れば、
・用心
・不意
・不注意
・来る日も来る日も
・もう一度
とある。要するに常に用心しろ。それが一番といっているわけだ。それがいつ来るか分らないということも、意味している。
こういう本質的な部分は変わらないし、ここだけは教えても意味がある。
え、これではためにならない?
もちろんこの話には続きがある。常に用心するには注意喚起するシステムと習慣化という二大対策がある。こういう基本なら、教えて未来にいっても役に立つ。
こういう知識はいくらでもある。仕事が本当に出来る人は、鮮やかにそれがそうであることを当たり前として聞き側が分るように実例を交えて話す。
そんなの全部知ってる?
そうかも知れない。そういう時はもう学ぶことはなにもないのだ。
実戦ですぐに役に立つ技術をちょいと(専門学校で2年ほど)仕入れてデビューしよう。
小手先の技術なんざ大したことはことはない。
きちんとしたカリキュラムに沿った優秀な学習システムがあれば数年で実戦に出て5年で一人前になるのだ。
問題は、全部知ってるとうそぶいていた人間が百年前にでていそうな標語泥意に間違って青くなることにある。
■芝村裕吏氏プロフィール:
バンダイグループの一社である株式会社ベック所属営業企画部次長岡本吉弘、バンダイ側正式呼称、2代目猛獣使いの猛獣として知られる、ゲームデザイナー。