

テレビやネットを見ていても、最近何ひとつ良いニュースがない。悲しいことや頭に来ることばかりで気が滅入る。どいつもこいつも、殺し過ぎだし、値上がりしすぎだし、無駄遣いしすぎだし、ずさんすぎだし、無責任すぎだし、嘘をつきすぎだ。モラリストを気取るつもりはさらさらないが、なんかもう酷すぎるだろう。お前らいい加減にしろ!!
そんなやり場の無い怒りを政権与党にぶつけると、毎回同じお礼のメールが返ってくる。
「あなたの声が、日本を変える力です。自○党が、あなたの声をかたちにします。
○民党の懐刀は、あなたです」
嘘をつけ! 俺の声がかたちになると言うのなら、即刻その懐刀で腹を切れ!! 早く解散して民意を問え。解散されても、入れたい党が無くてガッカリするだけなんだがな。でもしないよりマシだ! 自分らが下野するかもしれないという危機感がなければ、まじめに国民の声を聞こうとするわけがない。
まぁ、こんなこと言っても国家転覆罪だかなんだかで逮捕されないだけ、どこぞの国よりはマシなのかもしれない。しかし、社会底辺のおっさんが一人で喚き散らしたところで、何にも変わらないのも事実である。世の中、どうにもならないことはどうにもならない。
我々の世代は、バブル経済が景気良く弾け、日本が不景気の坂をズンドコ転げ落ちはじめたあたりに学校という楽園を放逐された。それから10年を「失われた10年」といい、その間に就職を迎えた世代を「失われた世代」と言う。
何が10年だ。なんとか業界底辺の企業に潜り込み、二度の転職を経て働き盛りの20代30代を浪費して来た人間にとっては、失われたのは10年どころの話ではない。後世の学者からは、1991年2月以後はきっと「失われた20年」、いや「失われた30年」と呼ばれるだろう。それくらい、今のダメな若い世代の頭の上に圧し掛かっている停滞感は、延々続いていると言っていい。
昨年あたりまで、いざなぎ景気も抜く好景気! なんちゃらセレブなんて言葉も踊ったが、本当にそうだったか? 銀行に金預けていてもまったく増えやしないし、好景気にふさわしいほど給料が増えたわけでもない。増税につぐ増税。値上げにつぐ値上げ。一方で非正規雇用者の数は年々増え続け、自殺者の統計は平成10年から毎年3万人超だ。
こんな世相でありながら、ひとたび若い奴が事件を起こすと、やれゲームが殺人者を育てただの、ネットがどうたら〜だのしたり顔で語りだすマスコミや知識人が雨後の筍のように出てくるが、馬鹿かお前らは。
お前らがリアルでやってきたことをリアルでできなかったのが、今の20代30代、これから辛い現実を嫌というほど味わうことになる10代だ。だから決して高くもない給料から、5%や時には10%の金を捻り出して、ゲームやネットのコンテンツを買っているのだ。それすらもままならないから、中古屋で定価6800円のゲームが380円で買えたと小さな幸せをかみ締めている。その意味を考えたことがあるか。
現実で車が買えりゃ、ゲームなんか買わずにモノホン買うだろ。年々車の国内販売台数が右肩下がりらしいが、当たり前だ馬鹿。バターすら買えないのに買えるかボケ。
現実の異性関係が充実してるなら、伝説の樹の下で突っ立てたりはしないだろ。少子化で財源が無くなるから移民引っ張ってくるとか、それは違うだろ。若い連中が家庭を持って子供を残せるような仕組みを考えるのが先だろうが。
ちょっと先生が子供の頭ひっぱったいたくらいで問題になる世の中で、じゃあ子供はどこで暴力の痛みや悲惨さ、必要性を覚えるんだ? 見えないように建前で滅菌すれば、暴力事件が根絶されると本気で思っているのだとしたら、どうしようもない楽天家だ。
そんな奴はナイフ一本持たせて、シャドーモセス島に送り込めばいい。自分が暴力と直面してから、その是非を問え。理想やアレルギーで死刑撤廃を訴えたり残酷表現を規制する前に、考えること、やることが山のようにあるだろう。
何もかもゲームやケータイ、ネットのせいにするな。娯楽は時代を映す鏡でしかない。今の世の中にゲームやケイタイが無くても、必ず他の媒体に、歪で醜い時代…いや、人間の本性が写っているはずだ。年寄りの頃には、テレビや映画、小説がそうだった。感化されるツールが、デジタル化されただけの話だ。受け取る側にも変化があるとしたら、それはデジタル信号が変えたわけではない。社会とそれを作ってきた人間たちが変えたのだ。
ツールではなく、ツールの影に潜んでいる奴らを暴き出して非難しろ。一方ではツールをもてはやして飯の種にし、一方では人殺しの道具のように喧伝する。乞われるままにツールを買い与え、事が起きれば自分の無責任を棚に上げ道具を非難する。これが大人のやっていることだ。
それに乗っかって、さんざん快楽中枢を刺激して人を殺させたくせに、手のひら返したように人殺しの悲惨さを訴えるゲームも、やはり欺瞞でしかない。一回作ってみてわかったが、誰もそんなことまで考えやしない。自分の中では首尾一貫して殺人を否定していても、それがシステムとして気持ちよければ、やってる方はそんなことお構いなしなのだ。いかに効率よく、気持ちよく敵を殺すかしか考えない。気持ちよくないものは売れないから、そんな所で何をほざいても誰の耳にも届かない。こういうゲームはモラルを説くツールには向いていない。
こんな世の中で、そんなものを手にする子供たちと与える我々は、その点を自覚する必要があるだろう。ゲームやネットが有害だとすれば、それが売れる社会そのものが有害なのだ。
だからと言って、くだらないコンプレックスや不満を無関係の人間にぶつけるのは言語道断だ。そんな輩は苦しみぬいて死ねばいい。世の中は理不尽と不公平に満ちているが、それに折り合いを付けられない自分にも、また問題があるのだ。
■里見直氏プロフィール:
色々と胸が痛い。

ホントだ、左上になんかあったw
半年前の記事に今更気づくのもあれだが、村山さんが言ってるように普段の我々のキャラは書かれている口調のイメージとはかなり違うのであしからず。俺は偉そうに村山君なんて言わないし、村山さんや芝村さんから滲み出る、とんこつ醤油ニンニクダブルも真っ青なキャラの味はあんなものではない。まして、マイクを持たせた内田さんの輝きや、酔っ払ってエンジンかかってきた谷口さんの伝説などは言わずもがな。あらゆるメディアに言える事だが、活字が真実を伝えているなどとは夢にも思わないことだ。
活字には、それを書いてる奴と、書かせている奴と、読む奴のバイアスが必ずかかっている。特に○日新聞とかね。言葉や文字なんて、もともと我が意を相手に強要するために生まれたのであって、根本は戦争となんら変わりは無い。言論か暴力か、手段が違うだけだ。
そんなものが、唯一無二の真実を語っているとか本当の姿を暴いていると思うことがそもそも大間違いで、なんでも話半分に聞いておくことが、受け手が自分の脳みそと人格を守る最良の手段と言える。毎年ごちゃごちゃやっているが、教科書ですらそうなのだ。人類史上最大のベストセラーでさえ、その解釈を巡って争いが絶えないのはご存知の通りだ。
「ペンは剣よりも強し」とか、「言葉は力だ」とかいうご大層なキャッチフレーズは、確かに活字や言葉の人道的側面を強調し、暴力を否定しているように聞こえるかもしれない。だが結局、パワーとでしか己の存在を定義できていないのだ。端的に言えば、その力を向けられたものは、心が痛いか身体が痛いかの差でしかない。「死なないだけマシ」という方便は成立するだろうが、力を持って相手と相対するものが、真実を体言していると言ってしまっていいものだろうか。活字や言葉は、暴力と比べてそれほど神聖で上等なものなのだろうか。
どちらも、根底にあるのは自分の都合だけだ。こと人間社会に関しては、真実も正義も相対的なものでしかない。どこまで行っても、一人の人間が書いた文章や発した言葉は、「一つの見方」しか語れていないのだ。言葉で我が意を押し付けるのも、殴って頷かせるのも結果は同じということだ。
こういうことを書くから、やれあいつはキ○ガ○だの電波だの色々言われるわけである。そう感じたのなら、その人にとって俺は○チ○イだし電波で間違いない。軍国主義者とか、最近聞くようになったネット右翼かと感じる人もいるだろう。確かに家には軍事関連の本が溢れている。戦争について知ることが大好きで、孫子とブラボー・ツー・ゼロがバイブルだ。ディスカバリーチャンネルのフューチャーウエポンは毎週欠かさず見ているし、書くことが浮かばなくて、さっきまでコール・オブ・デューティ4で1日半を費やした。自キャラが殺されれば悔しいし、15人ほど屠れるとニヤニヤする。手榴弾で一気に3人も吹き飛ばせれば、ウヒョヒョと小躍りしてしまう。日本が軍事力を維持するのには賛成だし、無防備都市宣言などと聞くと耳を疑ってしまう。いつもカバンに入っているのは、「人殺しの心理学」とモンハンP2Gだ。だからといって、戦争を望んでいるわけでも肯定しているわけでもない。あんなものは世の中から無くなればいいと思っているが、活字と言葉が無くならないように、また組織的な暴力も無くなることはないと諦観しているだけだ。だからこそ、なぜ、なにを、どうして、なんで、どうすれば、などを色々知りたいと思うのだ。
活字や言葉だけを賛美し、安易に暴力から目を背けることは思考停止と妄信につながる。言葉も暴力も、どちらも人間活動の根底にあるものだ。それから逃れることはできない。多種多様なモラル、無数の能力と個性のモザイクである人間社会においては、どちらもプラスにも作用すればマイナスにも作用するのが現実だ。目を逸らしても、そこにあるものは永遠にずっとそこにあり続ける。言葉も暴力も超えた、より深いところを見ようとしなければ、我々はいつまでも自分以外の人間を理解することなどできないだろう。
…って、誕生日の日曜に俺はいったい何をやっているんだ。ひどすぎる。
■里見直氏プロフィール:
そろそろなんか書きたいなと。

我々の日常に最も近い異界と言えば、トイレをおいて他にあるまい。
毎日必ずお世話になるくせに、トイレに対して良い印象を持っている人はあまり多くはないだろう。かつては、【はばかり】【ご不浄】【高野参り】などと呼ばれたように、トイレは昔からちょっと違う異質な空間なのである。
子供が恥や差別の存在を知り、社会性と世渡りを身に付けていくのも例外なくトイレだ。幼稚園や小学校でう○ちをしようものなら、情け容赦なく吊るし上げられる。魔女狩りや抜け忍狩りに通じるこの悪しき慣習のため、これまで数多の児童が便所の露と消えていった。この暗黒時代を生き延びなければ、中学高校で堂々と排便できる免罪符を手にすることはできない。
『トイレの花子さん』や『赤い紙、青い紙』など、トイレにまつわる怪談、都市伝説が絶えることがないのも、子供たちがタブーを感じているからだと言って差し支えないだろう。
家相においては、汲み取り式の便所はどこにあろうが凶相だったし、風水でもトイレの位置とそこに置くものは重要だ。昔ながらの『ぼっとん便所』だったら遠ざけたくなるのはわかるが、今でも家を建てる際には玄関とトイレの位置は重要だというから、これはもう我々の魂に刷り込まれた畏怖と言っていいだろう。
戦国最強と謳われた武田信玄が及ばず、第六天魔王・織田信長が恐怖した越後の龍・上杉謙信ですらトイレに倒された。畏れ敬うのも当然なのだ。
すぐそこにあるのに、こんなに畏れを抱かせるトイレであるからして、誰しもそれにまつわる秘話や奇談、不思議な体験の一つや二つあるのが当たり前だ。かく言う自分も、かなり人に言えない怪異を目の当たりにしてきた自負がある。俺の人生を支配しているのは、運命ではなくう○こではなかろうかと慄くこともしばしばだ。
一番最初に就職した会社では、所長にトイレの時間を計られた。北国の小さな営業所で、夜な夜な盛り場を回りカラオケの営業をしていたのだが、これは中々のプレッシャーだった。計測されていると思うと出るものも出ないし、出たら出たで止められない。中々いいタイムが出せなくて、遂には転職をケツ意した。ゲームを作りたいんです、とか親の病気が心配で、とか色々言って逃げ出してきたが、理由の半分は自分のタイムに行き詰ってのことである。あとの半分は鼻毛も凍る寒さに耐えかねたのだが、「道産子はう○この時間にはなまら厳しい」という思い出だけが残った。
次に就職した会社は、念願叶ってのゲーム会社である。夢と希望と不安を胸に、気張って初出社した日にやったことは、トイレを溢れさせることだった。これは相当のプレッシャーである。あの、決壊寸前まで便器に水が溜まっていく時の焦燥感と恐怖感は、ホラーとしかいいようがない。
結局すぐ隣の開発室まで汚水が流れ出し、先輩方の仕事を邪魔することとなった。穴があったら入りたいくらい情けなかったが、唯一の穴は詰まっている。まぁ、皆さん水に流して……とボケをかませる雰囲気でもない。泣く泣く掃除したのだが、女の先輩が、手が汚れるのも構わず雑巾で後始末を手伝ってくれたのは、死ぬほどありがたかった。地獄に仏、トイレに女神とはこのことで、「女神みたいな人は、転生なんぞしなくても身近にいるもんなんだなぁ」という思い出が残った。
自分は運がないのかあるからなのか、どうにもトイレをよく詰める。記憶に新しいのはナウ溢れている自宅の奴だが、吉祥寺の某デパートでの思い出は今でも罪悪感に苛まされる。
催し物会場で催して、おもちゃ売り場のある階のトイレに駆け込んだのだが、久々にやらかしてしまった。決壊寸前の便器の前で途方に暮れていると、ドアをコンコンノックされた。今出るわけには行かないので、入ってますとノックし返すと、それでもしつこくノックしてくる。どうやら子供が入りたいようだ。
親でも呼ばれたら厄介なので、早く立ち去れと息を潜めて待っていると、そのうち「早く〜!う○ち漏れちゃう〜!」と騒ぎ出した。気持ちは痛いほどわかるが、こっちも溢れそうなんである。早く出てあげたい、というか逃げ出したいのは山々なのだが、君がそこで頑張っている限り、こっちも出るわけにはいかない。出たら最後、詰まってると騒がれるのは便器を見るより明らかである。おまけに君が漏らしたら、その責任まで追及されかねない。なんとしても顔を見せるわけにはいかなかった。
先に動いた方が負けると察した自分は、ここを川中島は妻女山と決め込んで、頑として動かなかった。しかし敵も然る者、立ち去るどころか啄木鳥の戦法よろしくこざかしいノックを繰り返す。このままでは、マジで親か他の大人の増援が来てしまう。致し方なく、戸口から上の階に行けと囁いた。
だがなんと、我慢すると言うのである。まだかかるから、下の階にもあると教えても、「だいじょぶ、がんばる!」とか言うんである。なぜそこまでこのトイレに執着するのか理解できない。ただの詰まった大人便所だ。すっかり動転した自分は、他に行けとうわ言のように繰り返しながら篭城を続けた。
それから5分くらいだろうか、扉の向こうであえぎ続けていた彼が、何やら叫んで便所から駆け出して行った。決壊してしまったのか、我慢の限界だったのかはわからない。この好機を逃すわけにはいかない。すかさずカギを開け、最後にままよと今一度水を流してみた。すると、長時間に及ぶ篭城で詰まったものが溶けたのだろう、勢いよく汚物は異界の果てへと吸い込まれていった。これで、ここで起きた事を知るものは何もなくなった。胸を撫で下ろしてシャバに出ると、すかさず他のおじさんが、今出たばかりのトイレに篭城してしまった。自分は、宿敵がちゃんと他のトイレに行っただろうか、またあの戸をノックしに戻ってくるのだろうかと考えながら、その場から退散したのだった。
今にして思えば、はっきり詰まったと教えてあげればよかった。そうすれば、彼もあそこまでフン張らなかったかもしれない。デパートのトイレには、「上の階さ行けぇ、下の階さ行けぇ」と戸口で囁くものが出ると、幼い心に傷が残っていなければいいのだが……。
■里見直氏プロフィール:
人生でもっとも無駄な時間は、便器からあふれた汚水を掃除している時ではあるまいか。

取りあえず新年一発目のお目汚しということで、あけましておめでとうございます。どこまで更新続くのか皆目わかりませんが、未だにこんなとこクリックしてる物好きな方、今年もよろしくお付き合いのほどお願い致します。
とは言ってみたものの、実感としてまったくめでたい気がしない。昨今は自分と同じでそんな人も多いだろうから、賀詞ももうちょっと幅があって良さそうなものだ。「あけちゃいましたね? いいんですか?」とか「恐賀新年」とか「げぇ! 春?」とか「謹んで新年のお悔やみ申し上げます」とかね。
だって、東京株式市場は大発会早々616円も下げやがるし、おみくじを引けば凶ときた。「焦りは禁物」って、一昨年からこっち、全力全弾発射したなけなしの資産(借金込み)が○分の一になりゃ、そりゃ焦りもするだろう神様。年末ジャンボもかすりもしねぇし。
それに加えて相次ぐ値上げと増税地獄。こんな世相で無邪気に新年を祝えという方がどうかしてる。目出度いのは、どれだけ搾取されてもじっと耐え続ける某国国民の頭の中だけだ。年末調整後の支給額を、一昨年のそれとマジマジ見比べてみたまえ。遥かな等々力が、聞こえるか、聞こえるだろうってなもんだい。うむ、年始早々スリル満点。
こんな按配だから、カウントダウンの瞬間も酒かっくらって16時間ガンダム祭りを延々観てるしかない。ああ、大佐のお金が吸われていきますって、もう金の話はいいよ。
どうでもいいが、年末年始のガンダム一挙放送はやめていただきたい。もう何回観たかわからんけど、じじばばの「年忘れ日本の歌」と同じで我々ガンダム世代は観ちゃうんである。おかげで大掃除もままならず、廊下で捨てられなかった去年の生ゴミが異臭を放っている。大晦日じゃゴミの回収なんてとっくに終わってるって? 精神衛生上、それぐらい他人のせいにしておかないとよろしくない。元から気がふれてるのが一回りして真人間になってしまう。まともな人間がこんなところでクダ巻いてられないから、このくらいが丁度いいのだ。
とまぁ、書いて差し支えないのなんて所詮この程度。それが証拠に、年末くりバカ諸氏が集められて開かれた座談会の内容は未だにUPされてない。仕事早引けして夕方5時から駆り出され、結局朝の5時まで飲んでただけかい(笑)。まぁ、あれがそのまま載るようでは電撃に未来はないので賢明な判断と言える。
確かお題は、『業界の今年を振り返ってと来年の展望』とかそんなんだったはず。聞く相手間違ってないか? と思ったものの、そこはそれ。自分以外、業界の一線で活躍している諸氏の歯に衣着せぬ放言ゆえ、含蓄と示唆に富んだ名言もあれば、とても文字にできない迷言、本音も多かった。中でも一番耳に残ってるのは、○○氏の放った「来年どうなるかなんて俺が聞きたいわ!」の一言だろうか。頷く業界人もさぞや多いことだろう。新卒面接なんかで、「1年後何が流行してると思いますか?」なんてしたり顔で聞いていても、結局自分らが一番わかっていないのだ。だからと言って、これから門戸を叩こうという若人が、そう聞かれて「じゃあお前わかんのかよ!」と居直ってはいけない。のらりくらりともっともらしいことを言って、その場を煙に巻くのもこの業界ではなんとなく必要なスキルである。この「なんとなく」がとても重要で恐ろしいものであることは、数年も身を置けばわかるだろう。
誰かが「なんとなく」発した一言で企画が起きて、誰かが「なんとなく」その企画を通し、「なんとなく」人が集められて「なんとなく」仕様やデザインが決まっていき、「なんとなく」プログラムが動き始める。そのうち、「なんとなく」形になってきていたものが、誰かの「なんとなく」気に入らないの一言で振り出しに戻り、「なんとなく」間に合いそうにないから「なんとなく」切れそうな所を切って間に合わせ、やがて「なんとなく」売り場に並び、「なんとなく」売れないまま消えていく。
自分が知る限り、この「なんとなく」に明確な根拠があることはほとんどない。強いて言うなら、そのラインで影響力を持っている開発者や決定権者の好き嫌いとかセンスとか、経験則が心許ない拠所だ。
ゲーム作りなんて、所詮宝探しみたいなものだ。なんとなく書かれた地図を頼りに、西に100歩北に150歩みたいなノリで、なんとなく掘りまくるしかない側面は確かにある。ノウハウを積み重ねていくことは大変重要なことだが、それだけでは足りなくて、ある種の勘とかセンスが重要な局面があるのは否定しようもない。
こんな感じでなんとなく頼りないから、結局シリーズものっていうペケ印の所を掘りたくなるのだろうが、今年もそういうのが一番売れるんだろうなぁ。なんとなく、悲しくもあり情けなくもあり。
■里見直氏プロフィール:
何が言いたいのかよくわからん。

見出しは、ロシア語で「こんにちは」って意味である。郷に入りては郷に従え。今回はサンクトペテルブルクからお送りします。
発音は、手元のガイドブックによると「ズドラーストヴイチェ」ってことだが、何べん聞いても自分にはそう聞こえない。このまんまの字面で覚えてると、何を言われたのか咄嗟には理解不能だ。通訳のおじさんにゆっくり発音してもらって、「ズダァラァァストウィチェ〜」と覚えることにしたが、カフェやなんかで女の人に早口で言われたら、もうお手上げである。До свидания.「さよなら」とかСпасибо.「ありがとう」は聞き取り易いのだが、ロシア語には他にもДобрый день.「ドブリデニィ」とかПривет. 「プリヴィェート」など「こんにちは」がいくつかあって、時間や相手によって使い分ける。ドブリデニィなんぞは「こんばんは」とまったく聞きわけられない。もうわけわからんので、どこに行ってもウラーとハラショーだけで通すことにした。
サンクトペテルブルクというのはソ連が解体されてからの名前で、昔はレニングラードと呼ばれていた。かつてドイツに2年半近く包囲され、70万とも100万とも言われる民間人が亡くなった街だ。もっと前にはロシア革命の舞台となり、ソビエト連邦誕生の地となった。もちろん今は、そんな悲惨な面影など微塵も感じさせない壮麗な観光都市だ。かの有名なエルミタージュ美術館とかエカテリーナ宮殿のある区画がまるごと世界遺産に指定され、鼻毛も凍るほど寒いっつーのに、今日も世界中から訪れた観光客で賑わっている。
二本足のネズミが、いつ窓から身を乗り出して手をふってもおかしくない教会など、見た目の煌びやかな建造物に目を奪われがちだが、自分の目的は他にある。僕が知らなければならないのは、この街に染み付いた血の色と硝煙の臭い、哀しみと怨念の深さだ。目の前で、天使みたいな女の子がお父さんと写真を撮っているこの教会だって、「血の上の教会」という物騒なものだ。正式名称はもちろん違うが、ロシア皇帝がここで暗殺されてからそう呼ばれるようになった。さっきからずっと歯の根が合わないのは、気温のせいだけではないということだ。自分はここで、他の観光客が見ないものを見、感じないことを感じて帰らなければならない。
仕事とは言え、往復の航空券と五日分の宿泊費以外は自分持ちだから必死である。ちょっと色んなことが骨身にしみて、帰りのメインイベントを実施するかどうか迷いが生じてきた。復路では、中央シベリア高原のトゥラを経由し、ヴァナヴァラという村に寄る計画だ。
ヴァナヴァラは、パドカーメンナヤ・ツングースカ川の上流にある小さな村だ。ツングースカと聞いてピンときた人もいるだろう。今から100年前、この地で周囲2150平方キロを吹き飛ばす大爆発が起きた。隕石の空中爆発によるものというのが通説だが、現地の動植物に突然変異の兆候が見られるなど謎も多い。ヨーロッパ中で白夜のような発光現象が数ヶ月も続き、爆発の衝撃は世界の反対側でも観測されたと言う。自分の中では、当時何が起こったかの結論は既に出ている。だが、もっともらしく嘘をつくには、やはり現地を見ておくに越したことはない。実行すれば、ヴァナヴァラまでの旅費も帰りの飛行機も完全自腹となる。通訳が付くのもモスクワまでだ。明後日以降のことを考えると、またしても身震いが止まらなくなってきた。しかし、せっかくロシアに来れたのだから、やはり覚悟を決めて向かうべきだろう。
なんてのは、全部嘘っぱちである。谷口さんの妄想電波に乗っかって、前回の続き、ゲームにおける演出についての前振りを書いてみた。
生のロシアを書けるほどの知識も経験もないし、まったくもって下手な嘘なわけだが、とどのつまり、言葉や文字で演出するというのはこういうことだ。哀しいなら哀しいことが伝わるように、大変なら大変なことが伝わるように、延々言葉や文字を組み上げていかなければならない。間違っても直接「哀しい」と書いたり、「大変だ」と言ってはならない。そんなものは、誰にも哀しいとも大変だとも思ってもらえない。
さて、詳細は前回を見てもらうとして、僕が一番好きなゲームのシーンが、なぜ「MGS3でスネークが梯子を登っているところ」なのか説明しよう。
それは、文字や音声による説明を一切排除した上で、スネークの孤独を表現し切ったからだ。歌とユーザーの操作だけという、もっともゲームらしい方法で。
知っている人は思い返してもらいたい。なぜこんな操作をさせるのかな、と不思議に感じた人も少なくないだろう。あれは「自分で操作できる」という、恐らくゲーム唯一にして最大の長所を生かした、ゲームならではの心理描写なのだ。
がっくり肩を落とすといったモーションや、追い詰められた表情など、ビジュアルによる表現もない。視覚に訴えるものと言えば、無機質の長い梯子だけだ。にもかかわらず、梯子、歌、プレイヤーの操作という三つの要素だけで、件のシーンは完璧なまでに主人公の孤独を表現して見せた。
もちろん、作った人たちに聞いたわけではないから本当かどうかはわからない。だが僕は、スネークの言いようもない孤独を感じることができたし、この瞬間、自分とスネークの心情は完全に一致したと感じた。ゲームだけではない。あらゆる物語がそれを成す為に心底苦労する、純度の高い感情移入を果たしたのだ。ただ、クソ長い梯子を登っているだけで。
あれがムービーだったらきっとそうは感じない。長い梯子をスネークと一緒に登ったからこそ、彼の気持ちが理解できたのだ。
また得意の電波か、と声が聞こえてきそうだが、演出なんてものは感じたもん勝ちだ。演出もシナリオも、テーマに向かって作られる。だが、受け手がそれをどう感じるかなどコントロールできないし、してはならない。作り手による解釈しか許されないのなら、それはエンターテインメントでも物語でもない。ただの説教だ。僕は、心の狭い宗教の説法や算数の教科書を買ったわけではないので、どう感じようと僕の勝手というわけだ。
こんな仕事をしている自分が、ゲーム業界にいながら言葉や文字、構成による表現に捉われがちだからこそ、なおさらそう感じたのかもしれない。しかし、腐るほど遊んできたゲームの中で、操作していて「やられた!」と思ったのもあのシーンだけなのだ。
ともあれ、あの梯子は忘れてはならない教えを思い起こさせてくれた。ライターへの道を開いてくれた、大学時代の教科書にして唯一のバイブルによれば、至高のシーンとは「無言」なのだそうである。なるほど、さもありなん。
■里見直氏プロフィール:
本当は、自作っつーか自爆PCが壊れただけだす。すいませんした!

随分長いことこのコーナーが放置されているので、別件がてら担当のE岡某にお悔やみを言ってみた。祝・打ち切り。そしたら、「忙しくて忘れてた。書けw」とのこと。それでEのか。
まぁ、賑やかしの提灯の扱いなんざこんなものだろうが、なんというテキトーぶり。正に怠け者の鏡よ、天晴れ。それに引き換え、わざわざ面倒ごとを呼び込んだ方はいい面汚しである。電話するんじゃなかった。
というのが、かれこれもう二週間以上も前の話。しょうがないから、放置のお詫びも兼ねて今までで一番長く熱いコラムを書いて送ってみた。上はその書き出しである。そしたら、これがなんとボツだという。芝村さんも褒めていたように、このコーナーは一切検閲されていないというのが唯一の自慢かつささやかな誇りかと思っていたが、どうやら嘘っぱちだったようだ。少なくとも、担当に都合の悪いことはしっかり封殺されるようである。がっかりだよ! これは言論の自由に対する挑戦だ! たとえ俺を倒しても、必ずや第二第三の俺が現れ、我が無念を晴らし遺志を継ぐであろう! 覚えておれ…ぐふっ。
というわけで、今回二回目のコラムである。筆不精なのに面倒くさいことこの上ない。
しょうがないのでTGSの話でもしよう。
アメリカのE3が縮小されたので、今や世界一の規模となったゲーム見本市、東京ゲームショウ。もう何回目かわからないが、自分もいつものようにビジネスデイに行ってみた。相変わらず幕張は遠い。そろそろ有明の東京ビッグサイトに戻してくれてもいいんじゃなかろうか……と、毎年の愚痴を呟きながら会場に入ると、マイクロソフトのブースで早速小一時間捕まった。
HALO3、エースコンバット6、デビル メイ クライ4、そしてなんといってもアサシン クリードなど、これだけの大作が目白押しでは流石に足を止めないわけにはいかないだろう。アクションやシューティングが多い今年の360の年末商戦ラインナップは、個人的にも大変楽しみである。その他では、これから360でも結構RPGが増えていくようだ。RPGはほとんどやらないので気にしていなかったが、これを機に国内の360ユーザーが増えてくれたら嬉しい限りだ。次世代機が出揃ってそろそろ一年経つが、個人的には一番買いたいタイトルが多いのは360なんである。ゲーマーにはいいハードだと思うんだよね……もっと売れていい。
ガンバレ360!
お次は、一番楽しみにしていたPS3のメタルギア ソリッド4を覗いてみた。トレーラーとか色々公開されていると思うので、今さら何も言うことはあるまい。ただただ、楽しみである。PMC(民間軍事会社)やアウトソーシングされる戦争の形態には個人的にも何年か前から注目していたので、やはり大きく取り上げてきたか〜と興味津々。メタルギアは今のところ3が一番好きなので、またSNAKE EATERみたいな歌があることを切に願いたい。
この業界、度々音楽業界とタイアップして流行の歌手の曲をテーマソングとして使ったりしているが、出来合いのものを無理矢理当てはめることがほとんどなので、ゲームと合っているのが多いとはあまり言えまい。そんな中にあって、このゲームのためだけに一流の人たちによって作られたこの曲は、最高にゲームに合っていた。今までやったゲームの中で1番好きなシーンはどこかと聞かれれば、僕は間違いなく「3でスネークが梯子を登っているところ!」を挙げる。酔っ払ってこの話をすると、大概E岡某とは乱闘になるのだが、本当にいいシーンなのだ。
どんなシーンかと言えば、ただクソ長い梯子をスネークを操作して登るだけである。敵に攻撃されるとかいうこともない。ただスティックを上に倒して梯子を登る。その時、徐々に聞こえてくるのがこの歌なのだ。曲はない。ただ歌だけだ。プレイヤーは、スネークは、この歌を聴きながらただ黙々と梯子を登る。歌一曲分梯子を登る。どこまであんねんというくらい長い梯子を登る。単純にゲームプレイのことやコストから考えれば、一見まったく無駄なシーンだ。だがそうではない。なぜそうではないのかというと……って、これからうっとうしくも熱く語ろうという時に文字数が! 既にTGS関係ないし。知ってる人はなぜそうでないのか考えて頂きたい。続きは次回。
■里見直氏プロフィール:
クリエイターなんて後ろ指差されてる連中も、所詮はただのゲーマーなんでげす。


社会保険庁へのほとばしる怒りのあまり、近頃一部で有名らしい某サイトで調べた、自分の脳内検査の結果を貼っておく。
脈絡は無いようであるようでない、みたいな。一種の自爆テロ、抗議声明と思って頂きたい。他人を傷つけると結局自分も傷つくので、こういう表現になる。結果が同じなら、イタイ思いするのは少ない方がいい。物書きなんてのは、所詮自分の切り売りだ。てやんでぇ。
で、結果はというと、当たりすぎてイタイ。過去19回、このコーナーで騙し騙し書いてきたことが、この図一枚で済んでしまう。たかだか名前を入力するだけでこの的中率。もうええやん。クリバカ日誌終了。みたいな。
…それはさておき、村山さんとのテロリスト狩りがまったく埒を開けないので、久々にサバイバルゲームに行ってきた。
脈絡は無いようであるようでない、みたいな。電脳世界の銃撃戦で、スタート地点の部屋から一歩も出ないうちに殺されるのは、ひとえに現実世界での鍛錬が足りないからに他ならない。たぶん。
サバゲーちゅうのは、いい大人がおもちゃの鉄砲持って嬉しげに撃ち合う、めっぽう痛いマゾごっこである。被弾箇所と被弾距離次第では、普通に血が出る。2メートルくらいの距離から全身に6_弾をしこたま浴び、ウヒョーと悶絶しながら退場する遊びと思ってもらって間違いない。色々ルールはあるが、詰まるところ自分がウヒョーと言うか、相手にアヒョーと言わすかどっちかである。結果が似たようなもんなら、イタイ思いするのは多い方がいい。物書きなんてのは、所詮体験したことの切り売りだ。べらぼうめ。
で、結果はというと、当たりすぎてイタイ。未だに全身の内出血のあとが消えない。アメリカから個人輸入した実銃用のタクティカルライトまで被弾して割れるわ、たかだか数時間でこの的中され率。もうええやん。クリバカ日誌終了。みたいな。
……それもさておき、ここ4ヶ月くらいで8キロ痩せた。脈絡は無いようであるようでない、みたいな。これもひとえに、ジム通いとビリー隊長のおかげである。
ビリーちゅうのは、もはや説明するまでもあるまい。知らない人も「最強の51歳」で検索すればすぐわかる。しかし、ブートキャンプの開始直後はなんであんなに照れてしまうのか。毎回、俺がビリーだと名乗るテレビに、あ、どーもと頭を下げてしまう。
すぐに照れてるどころじゃなくなるが、やってる姿はとても人に見せられない。ワンモアセッ!言われても、一回も出来てません隊長。でもビリーは楽しい。同じエクササイズするなら、イタイ思いも楽しんだ方がいい。物書きなんてのは、所詮…この場合なんだ…そう、所詮ヒマなんだよ!こんちくしょう。
で、結果はというと、ご想像通り筋肉痛すぎてイタイ。あまりにヒネリのない展開に、どんな読者の予想も当たる的中率。もうええやん。クリバカ日誌終了。みたいな。
………そんなこともさておき、最近仕事でやたらと新幹線に乗せられる。脈絡は無いようであるようでない、みたいな。
新幹線と言えば、昔は帝国ホテルの食堂車で、流れる景色を見ながら一杯やるというのが常だったが、最近の若い人はそんな楽しみも知らなかろう。
食堂車での食事は独特だ。料理だけでなく、旅の感覚まで味わえたのが食堂車の良さだった。かすかに揺れるテーブルの上で料理にナイフを入れ、大き目の窓の外を飛んでいく景色にグラスを傾ける。それだけで、3時間のだるい移動が旅になったものだ。
随分前に、食堂車は一部のファンに惜しまれつつも廃止されてしまったので、今は仕方なくビール飲みながらモンハンに興じている。ようやくハンターランクが6になった。ウヒョヒョ。人間、奪われてもどうにかして別の楽しみを見つけるもんである。
そんな出張から帰ってくると、慎ましやかに机の上に封筒が置いてあった。「右のもの、名古屋事務所に異動を命ず」って、モンハンまで取り上げる気か。つーか唐突過ぎてイタイ。事前に偉い人に肩叩かれたりするのは、ドラマの中だけのようだ。
社保庁への怒りから、どんな読者もブッチ切る、なんの脈絡もない超展開。ようやく字数も埋まったし、正直それどころじゃない。これにてクリバカ日誌終了。みたいな。
■里見直氏プロフィール:
とりあえず椅子に身体縛り付けました。

忙しい内田さんには申し訳ないが、GWに一足お先に沖縄を満喫してきた。うひょひょひょ。
夜になると流石にちょっと肌寒い日もあったが、向こうはもうすっかり夏。3本ほどのんびり潜って、プライベートビーチでこんがり焼いてきた。というか強制的に焼けてきた。もうね、夏先取り。
いやー、いいなぁ沖縄。青い海、青い空、んで白いビーチときたら、残るはアレですよ。
Tバック。
赤とかサイコォだなぁ。こうね、クイッと。男の夢だ。ええ、ええ、赤いのはいてましたよ。

見ず知らずのおじさんが。
しかも、あの超きわどいスリングショットってやつ。「ダウンタウンのごっつええ感じ」で、お笑いタレントの今田耕司と東野幸治が、S極くんN極くんのコントで着てたアレ。股間の小さい布を細い肩ヒモで吊ってる、ごっつインパクトのあるアレですわ。
もうね、夏台無し。
いや、申し訳ない。あんまり人様のこととやかく言うのはよくない。刑法抵触スレスレだが、スレスレで済んでる以上どんな格好しようと自由だ。
でも台無し。
おじさんのスリングショットが自由なら、隣で寝てて動くに動けなかった方にも、台無しと思う自由があるはずだ。
「思想及び良心の自由」は、憲法19条にだって謳われている。
他のチェアーに移動しなかったのは、決して小心からではなく良心ゆえだ。大人の振る舞いをしたんだから、ちょっとくらい台無しって思ったっていいじゃないか!
そんな当方の嘆きなどお構いなく、隣で頻繁に体位を変えては、プリプリと小麦色の肢体を日に晒すMr.スリングショット。リゾートに一人で来ているのも珍しいが、やはりその装いのせいで目立ちまくっている。気になるのは我々だけではないらしい。夏の視線クギ付け。こちとら金縛り。中身さえ違えば、中身さえ違っていたならば、グラビアクイーンかプレイメイトとバカンスに来ている気分を味わえただろう。それこそ男の夢というものだ。現実は限りなく悪夢に近いが。いっそあの食い込みは、熱射病が見せた幻と思いたい。
しかもこのミスター、やたらとこちらの会話に絡んでくる。うちは何十年ぶりかの家族旅行だったので、側には母や甥っ子などがいたのだが、家族の会話に囁くように答えたり、頻繁に相槌を打ったりしていた。母が家族の写真を撮ろうとすると、何故か自分もチーズしていたりしたようだ。もう、傍から見たらしっかり家族の一員である。母は大喜びだったが、久しぶりの家族写真がそんなんでいいのか……。
甥に弟か妹でもできたら、この名状し難きプリケツは一体誰だと説明するんだ。
そんなこんなで、ヘビに睨まれたカエルのような3時間を過ごすと、おじさんはTシャツを着て先に引き上げていった。
結局一言も話さなかったが、今にして思えばお別れくらい言っておけばよかったかもしれない。なんだかんだ言って、おじさんのおかげで印象に残る旅にはなった。つくづく世の中には凄い人がいるものだ。あのミスターのように、意識せず人を楽しませる人もいるのだから、自分などはまだまだだ。
「No pain, No gain ― 痛みなくして得るもの無し」
猛烈な日焼けの痛みと引き換えに、思わぬ所でおもしろ魂の極意を垣間見ることができた。
だがやっぱり、夢は着るものではなく見るもので止めていたい。真似しろったって、あ
れだけは、ムリ。
■里見直氏プロフィール:
3万もする万年筆買っても、漢字が書けません! ワープロ病ずんどこ進行中…。

とりあえず玄関先に盛り塩はした。
寝室の窓には太極図を掲げ、一番肝心な自室の天井にはエルダーサインを張った。書棚のネクロノミコンから拡大コピーしたものだが、一応それらしく見える。一番これが効きそうだ、という印象以外大した根拠はないが、この部屋だけは特別なのだ。
家族の立ち入りすら許さない安っぽい合板の扉が打ち破られた時、溢れ出た秘密と共に世界は滅ぶ。私は私の世界を守らなければならない。
呪う神なら幾らでも知っているが、それだけというのはこういう時非常に心許ない。今さら殊勝に十字など切ってみせたところで、先方もこちらが賽銭箱に投げ込んだ五円玉ほどの関心も抱くまい。それでも何もしないよりマシと、世界中から掻き集めた護符をこうしてぶら下げて回っている。
リビングはボージョーボーでいいだろうか。男人形を逆さにして、両手を女人形の両足と結んでおく。女人形の両手は男人形の両足と結ぶ。どうやら私はまだ狂っていないようだ。ボージョーボーを手にした奴が必ずやる、禁断の印をこうして結ぶことができる。ボージョーボーの解説は、放っておいても担当編集者のE何某がやるだろう。というかそれくらいやれ。禁じられた印を結んだその姿は、実に煽情的で冒涜的だ。写真を掲載する勇気は私にはない。
一通り結界を施してはみたが、相手が相手だけに安心できない。時間の隅に住まうという魔犬がごとく、いつ何時次元の壁を越えて侵入してこないとも限らない。その光景はいつ垣間見てもなんとも恐ろしく、私は何度めかの幻想を追いやろうと虚しく空を掻いた。
部屋の隅から青黒い噴煙を伴って現れたその男は、手に握り締めていたボロボロの紙片を差し出しこう言うのだ。
「この真面目な文章を書いたのはお前か」と。
あまつさえ、地獄めいた声音で朗々とその紙片の内容……前回の私のコラムを読み上げてみせるのだ。
なんというおぞましく恐ろしい所業であろうか。半端な物書きを貶め辱めるに、これに勝る責め苦はない。私はその名状し難き詠唱が終わるまで、ただただ成す術もなく身をよじり、この脆弱な精神が焼き尽くされぬよう頭を掻きむしるしかないのだ。
世の中には、文章を我が子に喩える者がいる。それだけ苦労して生み出したもの、愛しくて仕方の無いものということであろう。身を切るような思いで、一語一句を推敲する者もいるという。愛なのか哀なのか、たった一文字綴るのに七日七晩机の前に座り続け、そのまま逝った剛の者もいると聞く。
遠い世界の話だ。書き記したものがまこと己の子ならば、口に出されて恥ずかしいはずがない。子供の名を人前で呼ばれて恥を感じる親は一人もいないからだ。私にとって奴らは、ままならない恥辱の対象でしかない。隠しておきたいこと、記憶の澱みに沈めてしまいたいことを暴き出し、容赦なく私を打擲する小鬼(インプ)がごときものなのだ。あの多摩川の河川敷を歩むもの、土手に寝転び、その頂を越えてのしりのしりとこちらへやってくるあの男は、それを知っているのだ。
おお、神よ。これが身の程もわきまえず、若者を啓蒙しようとした愚かな小人への罰だと申されるのか。決して大それた大望を抱いたわけではなく、書くことがそれしかなかった、という懺悔は聞き入れて下さらぬのか。向かい風に逆らい来たる者の罰を受けるべきは、私ではない。御茶ノ水の編集室で安穏と怠惰を貪り、仕事言えば飲む事と他人に振る事だと思っているあの男、E何某こそ受けるべきなのだ。傍若無人にも、どこぞで純粋に文筆を志す若人たちを唆しているという、あの男こそ受けるべきなのだ。
ふと我に返ると、居間のテレビはいつの間にかサンドストームを映すだけとなっていた。どうやら私は、さほど大きくない画面に向かい、延々と狂気じみた弁解を繰り返していたようだ。やけに気だるく朦朧とするのは、夕食後に服用した抗ヒスタミン剤の効果だろう。そのせいかスピーカーから響く風音が妙に煩わしく、リモコンに手を伸ばした時にはじめて気がついた。
びゅうびゅうという音は、ベランダの方から聞こえていた。私は首を向けることができなかった。窓は多摩川の方を向いている。そのうち、音だけでなく骨の髄まで凍てつくような風が室内を駆け巡り、私は矢も盾もたまらず振り向いた。
あれは、あの見知った顔はなんだ。そんなはずはない。ここはビルの4階だ。ベランダに! ベランダに!
■里見直氏プロフィール:
行き付けの小料理屋で一杯やりましょう。
※ボージョーボーについて:
ヤフーとかグーグルで検索すると出てくるよ(E何某 談)

成人式が1月15日から第2月曜日に変わって、もう7年くらい?
今年も色々騒ぎがあったようだけど、ひとまず覚悟のできてる人には「お気の毒に」、できてない人には「どこにもないよ」と言っておこう。そんな年齢の人たちが、こんなとこ見ているかどうかは知らんけど。
酔っ払いのおっさんが今回問題にしているのは、大人に「なる」とか「なった」覚悟ではない。大人を「やる」覚悟のことだ。
「なる!」とか「なった!」では力が入りすぎている。
「なる」や「なった」では腰が引けている。
やっぱり「やる」が一番しっくりくるのだが、この違いわかるだろうか。
もう実感したかもしれないが、ハタチになったからといって、レベルが上がって大人になる奴なんて一人もいない。そこからはハッタチ、もといハッタリが必要だ。このアビリティを身に付けないと、世間では10年経ってもレベル30で子供のままと見なされる。そう。実のところ、世の中には上手く大人に化けてる奴と尻尾が見えてる奴しかいないのだ。
覚悟ができてる人は、おそらく直感や周りの大人を見てそれを理解している。心配ない。あなたはきっと上手く大人に化けるだろう。
できていない人たちは、本能では理解しているが、認めたくないか準備が足りなかった人たちだ。ひょっとしたら真面目なだけかもしれない。だから、無意識に押し付けられた通過儀礼をぶち壊そうとしたり、反発したりする。
10代最後の思い出ややんちゃもよかろう。無視して家でゲームやっていても結構。だが、1月の第2月曜日を過ぎたら、もうネバーランドはどこにもない。覚悟を先延ばしにして斜に構えていても、時間はどんどん過ぎていく。こればっかりはどうにもならないのは、あなたたちが一番よくわかっている通りだ。
人間は、何かを「やらないと」生きていけない。大人も一緒で、やらないとできないのだ。くだらない世の中の仕組みやルールに抵抗したければ、大人のフリをしながらやればいい。書いて描いて歌って踊れ。走って登って、叩いて蹴ってブン投げればいい。あなたがイケてると感じた大人たちがやってることは、きっとそんなことだ。歌手だ俳優だ、スポーツ選手だ小説家だといっても、学校の窓をカチ割って回っているのと本質的には大差ない。表現なんてそんなものだ。警察に捕まるか世間から賞賛されるかは、いっぱしの大人でございという顔ができるかできないかの差でしかないのだ。
何も、プロである必要は無い。別に仕事を持ちながら、レジスタンスを楽しんでいる人たちは大勢いる。縛りがない分、その方がのびのびやれていいかもしれない。
ちなみに、端っこの方で小っちゃい窓を割ってる、あんまりイケてない連中がゲーム屋(作ってるほうね)だ。彼らは大人のフリがあまり上手くないので、叩かれたり蔑まれたりしている。よく自爆もするし、賢い大人をやりたい人にはお勧めできない。
自分が大人なのかどうかわからないまま25歳を過ぎ、どんなんが大人なんだろうとキョロキョロしながら30を過ぎた。子供の頃に漠然と思い描いていた大人、こんな大人になりなさいなんて言われてきた人は、どうやらいないっぽいというのが今のところの結論だ。こういう業界にいるから、自分がガキだから、というのでもなさそうだ。きっとみんな、自分と同じような感覚で、手探りで大人のフリをしているに違いない。
だから、あなたにも大人をやる覚悟があれば、先輩たちも快く飲み屋で隣の席を勧めてくれるだろう。おっさんはウザイしクドイし、無理して飲む必要はまったくないが、その人がどういう風に大人のフリをしているか観察するのも、乙なものだろう。きっと。
■里見直氏プロフィール:
尻尾が隠れません。


遂にWiiが発売され、昨年暮れのXBOX360から11月のPS3と、一通り次世代ハードが出揃った。
今頃テレビをかち割らんばかりの勢いで、リモコン振りまくりの諸氏も多いことだろう。なんだかんだ言って、新しいハードが発売されるのはギョーカイの人間でもワクワクするもんである。いや、めでたい。
巷でも、やれ転売だ行列だと中々盛り上がった様子。聞けばPS3などはオークションで20億もの値が付いたとのこと。
昨年来多額の損失を抱える当方としては、発売日に並んでおかなかった身の不明を大いに呪ったものである。20億あれば、『マザー3』が何本買えたことか。
積み上げて御殿が建てられたに違いない。
というわけで、PS3と同じ轍を踏んではならじと、Wiiは気合を入れてゲットすることにした。
20億とはいかずとも、半分くらいは……いや、半分の半分の半分の半分の半分の半分の半分の半分の半分の半分の半分の半分の半分の半分の半分の半分くらいにはなるかもしれない。
懲りもせず、夢は膨らむ。
手始めに、ネットで予約を受け付けているお店を探す。どこも売り切れなのは、まぁ予想内。贔屓のアマゾンが予約を開始したら、お知らせメールが届くよう登録しておいた。
なんとなく安心。
数日後、お知らせメールが届く。翌日覗いてみると既に売り切れ。4回に分けて受付が行われたものの、速攻売り切れた模様。ここらでじわりと、背中を汗が伝う。
思い出されるのは2年前のPSPショックだ。この時も普通に買えるだろうと高を括っていたらどこにも売っておらず、二次出荷分を求め、早朝からケータイ片手に都内、川崎、横浜と走り回ることになった。
ようやく某激○の○堂で残り二つのうち一つをゲットできたが、驚いたことに翌日そのお店は放火されてしまった。幸い死傷者は出なかったようだが、救出が遅れていれば当方のPSPもどうなっていたかわからない。無事助け出された彼は、今も我が家の押入れで、当時の姿のまま安眠をむさぼっている。いや、よかった。
回想終わり。
ともあれ、このままではまたしても寒空の中走り回らなければならない。
大手量販店などはどこも無理だと諦め、渋谷の某デパートの片隅にひっそりと佇むおもちゃコーナーへ突撃。予約受付中だというので小躍りしたのも束の間、既に200人待ちで、初回入荷数も不明。
何ヶ月先に順番が回ってくるかわからないとのこと。それはもう予約と言わんのではなかろうか、お姉さん。
ダメだ。このまま待ちに徹していては、きっと還暦を迎えてしまう。なんとしても、振り回す体力があるうちにリモコンを握らねば。さりとて、徹夜で並ぶのだけは勘弁だ。まかり間違って、自分の作ったゲームで頭にきたユーザーと隣同士になってしまったら、手ひどい復讐をされるに違いない。Wiiも欲しいが命も惜しい。どうしよう……。
そして発売日。近くのヨーカドーで、開店から15分の間に並んだ人対象で抽選販売を行うとのこと。もはや最後の、大事な大事なアタックチャンスである。
締め切り1分前に滑り込むと、店内はかなりの行列。子連れのお客さんが多い。これなら復讐されることもなかろう。
レジ前は、既に運命の時を待つ黒山の人だかり。自然、抽選券を握る手に力がこもる。
そして、次々と読み上げられていく当選番号。入荷200台に対して1000人前後並んだようなので、隣で10枚程握り締めているおばちゃんは、2台は持って帰れる計算だ。子沢山にもほどがある。
もう半分くらい捌けてるな…904番来い、904番来いと念仏を唱えること数分。
「きゅうひゃく〜さん番の方おめでとうございます!」すいません、前後賞はなしですか!
その後も「きゅうひゃくよんじゅうよん」「きゅうひゃくよんじゅうなな」とガッカリの波状攻撃を浴び続け、残り10台あまりになったその時、「げっつ」と聞きなれた声が。
おお、そうだ、我が家にももう一枚抽選券があったではないか! 927番の大当たりである。
祝着じゃ! 大儀! 腰のものを取らせる! と伊達政宗ばりに誉めそやし、なんとかWiiをゲットできたのであった。
やれやれ、これで心置きなく博多華丸大吉ショーとカジノロワイヤルを観に行ける。
■里見直氏プロフィール:
ダニエル・クレイグの新ボンドに惚れました。

遠からず、日本は世界の市場から孤立して、ゲーム後進国になるんではなかろうか。そんな予感が日増しに強くなっている。いや、もう既になってるかもよ?
だって洋ゲーの方が面白そうなの多いんだもん!
かつては、大味、絵がキモイなどと言われ、国内ゲーマーの失笑の対象ですらあった洋
ゲーだが、これを見てもまだそんなことが言ってられようか。
(と、他のHPのURLを恐れ気も無く張る。一切検閲しないという男らしい姿勢が売りの電撃ゆえ、よもや小さいことは言うまい。といわけでペチっとな)
・『Assassin's Creed』紹介映像(海外サイト)
*最初はランダムでCMが入るようなので注意
まだ開発中だそうだが、もう見ただけで楽しそうだし凄そうである。一緒に見ていたプログラマーさんやデザイナーさんの口からも、溜息が漏れていた。
確かに、絵はめちゃめちゃ綺麗だし物理計算も凄い。だが我々が戦慄したのは、それら表面の裏に垣間見えた、開発思想の違いとそれの意味するところである。面白いことにその場にいた全員が「これ企画先行じゃないよなぁ」と感じたのだ。技術屋が凄いと思うものを集めたらこんなゲームになりました、という風に見えたわけだ。
日本のゲームは、まず企画から入る。どんなゲームにしようというプランがあって、それを実現するためにプログラムを組み、絵の雰囲気などを決めていくことがほとんどだ。エンジンやグラフィックが先に決まっていることもあるが「前と同じようなものを作る」という場合がほとんどなので、これもまぁ企画先行と言っていいだろう。
洋ゲーも基本的にはそうだったのだろうが、ここしばらくの流れを見ていると、海外では既に「技術先行」型へと風向きが変わりきったように思える。
昔は壷を調べても「小さげなメダルを手に入れた!」と言われてごまかされてしまうのが関の山だった。ところが今では、武器で叩き割ることもできるし、投げて窓ガラスを割ることもできる。逆さにすれば、メダルがポトリと落ちて転がっていくなんてことまでできてしまう。
最近、日本でもこうした「リアクションの多さ」が好まれるようになってきたが、これなど技術先行の思想が作ったストリームの最たるものだろう。企画屋の発想ではない。国内のユーザーや業界が萌え萌えしている間に、コツコツノミを振るっていた海外の職人たちが(イメージ)、仮想空間をズンドコ現実に近づけていたのだ。個人的に、この差は途方も無いように思える。
勿論、国内のゲームにもいいところはまだ沢山ある。技術先行、リアル志向が果たして良いのか、という議論もあるだろう。だが、これからますます、日本のメーカーは海外の市場を意識していかなければ経営が難しくなる。その流れに果たしてついていけるか? 別の切り口で勝負できる発想や技術が自分たちにあるか? このままでは日本だけが特殊市場と化し、世界の流れから置いていかれてしまうのではないか?(既にその片鱗は至るところに垣間見える)
その問いが、先の戦慄と溜息の正体だ。
国内でそこそこ売れたゲームを海外に持っていっても、あまり売れない。稀な例外こそあれ、売れるのはハナから国外を意識した商品がほとんだろう。日本のRPGを持っていくと、今でも「ウィザードリィから何が変わったの?」と聞かれるそうだ。地団駄を踏むのは、そろそろ終わりにしたい。誰かがんばって!(オイ)
■里見直氏プロフィール:
RTSもいいよね。